[ZIGZAG]:スウィート・エスケープ。

 「はいちょっとお邪魔するよー」
 聞き慣れた声と一緒に、香ばしい香りが開け放たれたドアの向こうから雪崩れ込んでくる。
 基地にいる時は大概そのまま流している茜色の長い髪を、まるで戦場に赴く時のように空色のリボンで結い上げた我らが空軍のエース嬢は勇ましくもはしたなく蹴り開けた(彼女の名誉のために付け加えるなら、両手がふさがっているので他に手段が無かったのだが)ドアをそのままに、ずかずかと喫煙所へと踏み込んできた。
 「どうしたよメビウス1、あんた煙草はやらないだろ」
 「うん、まああれなんだ、久しぶりに女の子らしい事しようと思って厨房借りてアップルパイ作ってたんだけどね」
 焼き立てパイのずらりと並んだ天板をミトンで掴んだまま、片方の眉を器用に上げて見せるメビウス1。
 「調子こいて焼き過ぎちゃってさ。親愛なるアローヘッズの皆様にお裾分けしたいと参上したわけだよ」
 それはありがたい、と誰かが答えたのに被さるように。
 「うん、これは美味い。けどどう見ても人数分は無いね、早い者勝ちだ。…cleared to engage!各自、己の食いたい分は自力で勝ち取りたまえ!」
 特徴のある声での号令に、ぎくりとした顔のメビウス1が声の主…彼女の背後から手を伸ばしてさっさと戦利品を貪る管制官を睨み付けるより早く。
 日頃『女の子の手作りパイ』なぞに縁のない哀れな男達に殺到されたメビウス1は、瞬時に人垣の中に沈んだ。
 最も、得意の回避機動も陸上で、しかも天板を持った状態では無理だろうけれど。

 「ありゃあいつ流のストレス解消だ、別に親切でも何でもないから調子に乗るなよ」
 昼間の大騒ぎを聞かされた彼女の後席員はひとしきり爆笑した後、そう言って苦笑いを浮かべた。
 「メビウス隊(うち)に入ってきた頃から何かあると黙って溜め込むヤツでな、限界近くなってくるとああしてバカみたいな量の菓子作り出して周囲に食わせる」
 確かにここしばらくは、というか彼女にとっての初陣から、ひたすらに神経を磨り減らすような作戦ばかりが続いている。
 他のパイロット達が酒や馬鹿騒ぎで鬱憤を晴らす中、彼女は深入りせずに飄々と受け流していたように見えて…やはり随分とダメージは蓄積していたらしい。
 「ただまあ、予想じゃもっと早くやらかすと思ってたんだが」
 さっさとへこむかと思ってたが、少しは頑丈になったかとひとりごちて。
 「ひよっこに羽が生えるのも、そう遠くなけりゃいいんだがな…でないと俺の苦労が増えるばっかりだ」
 ヤツがいねえから全部俺に回ってきやがる、と肩をすくめ、二人の[メビウス1]を後ろから支えてきた相棒は、それでもどこか楽しそうに笑った。


初のメビウス1の一人称で進まない話。オメガかレイピアかヘイローの誰かあたり(つまり考えていない)。
果たして待機中にお菓子作ってる余裕なんかあるのかどうかは脇に置いておきつつ、「ちょっと気の抜けたメビウス1」が書きたかったのです。