[Z.O.E.]:Beyond the Bounds:01

 真夜中のコールに何事かと端末の前に座れば、何故か自分のアカウント。
 『…やあ、はじめまして…なのか?俺。もしかしたら久しぶり、かもしれないが』
 ノイズに埋もれて良く見えない画面の中で、相手はそう言って、たぶん笑った。
 『とりあえず、業務連絡だ。…俺がそこに居る理由と目的について、本来ならシミュレーション通りに展開するはずだったところに不測の事態が起こったらしく、あのひとがちょっと困ってるらしい』
 ノイズの向こう側で、どこか見覚えのある顔が、こちらを見つめて首を傾げる。
 『あのひと曰く、これはちょっとしたサービス、らしい。「そっち側」にパージされる前に消去された記憶と記録の一部を修復して、スフィアへのアクセスに関するロックを開放してくれるとの事…良く判らないが、ハンデみたいなもの、だそうだ』
 色の薄い唇が、笑みを形作るのがはっきりと見えた。
 『…まあ、何をさせられるのか判らないが頑張ってくれ。なんのかんので、あのひとは結構俺に期待してるそうだから。』
 空色の海と、海よりも青い空を背景にして。
 いつか見た事のある顔が、にやり、と口元を吊り上げて消えた。
 残されたのは、端末の前で画面を見つめたままの自分だけ。
 今さっきコールしてきた、もうひとりの自分がいるエレクトロスフィアではない、「本物の世界」に、誰かの、何らかの思惑(残念ながらそこまでは思い出させてもらえないらしい)によって放り出されたエアロコフィン制御用AI。
 「…………」
 彼はしばらくの間ぼんやりと画面を眺めていたが、やがて無表情のまま、自分の掌に視線を落とす。
 数字と文字列の塊に実体を与えるために構築された、紛い物の…それでも、世界に触れる事ができる身体。
 感触を確かめるかのように、二、三度ほどその手を握りしめては開き、最後に一度、強く握る。
 (あのひとは…俺に、何をさせたいんだ?)
 答えは、出てきそうにない。

 朝というにはやや遅く、それでも、昼前と呼ぶにもまだ早い、そんな中途半端な時間に。
 「…あ、良かった、居た!緊急出動です!」
 電子ツバメが運んできた、慌ただしい声。
 「今朝未明、ニューコムの研究施設に隣接する基地から試験運用中の無人戦闘機が無許可で離陸。基地の駐留機のほとんどを破壊して、現在ユージア大陸北部地域上空を高速度で飛行中とのこと…UPEOではこれを緊急事態と判断、SARFが治安維持活動を行う事になりました」
 詳しい事は追って書面(メール)で通達されるそうだから、上空(うえ)に上がる前に目を通しておいて、と言い残して。
 了承の旨を伝える間も無く、モニターからフィオナの姿が消える。
 (前にもこんな事があったな)
 あの時も緊急出動の連絡を彼女が持ってきて、確かその前にエリックと話していたところに思いきり割り込まれて、結局話の内容が分からないままで…
 そんな事を思ってから、違う、それは「向こう側」での話だ、と気が付いて、彼は小さく首を振った。
 それは「こちら側」ではまだ確定されていない、しかしある程度仮定された未来。
 だが、今こうして「見覚えの無い」事態が発生しているという事は、あのひとが思う以上に世界は予測しがたい要素が溢れているのかもしれない。
 ぼんやりとそんな事を考えている所に、メールの着信音。
 おそらくはニューコム側が情報の公開を渋っているのだろう、内容はフィオナの語った概要をもう少し詳しくした程度。ただ、試験機の名称と外観に関する資料だけは添付されていた。
 [XR-F01 FALKEN ]
 おかしいな、と、ふと思う。
 ニューコム機の特徴ともいえる流線型の機体形状。だが、わずかな違和感がある。
 「XR-XXX」は試験機を示すニューコム独自の規格番号だが、書式が微妙に違う。機体名もニューコムおなじみの海洋生物からの命名ではなく、鳥の…しかも猛禽の名。これではまるでゼネラルリソース機だ。
 何かが、どこかで食い違っている。
 拭えない違和感。しかし、検証するには情報が足りなさすぎる。そのための時間も無い。
 今、自分にできる事はといえば…コフィンを駆って、飛ぶだけ。
 「……飛んで、確かめるしかないのか」
 確認するように、自分に言い聞かせるように呟いて、立ち上がる。


 空気を引き裂く音を上げる緋色/火色の翼。
 誰も振り切れない。誰も追いつけない。
 << ……スカーフェイス1は、何処だ >>
 男とも女ともつかない、抑揚のない声が、一緒に追いかけてくる。
 << 知らない、そんなやつは知らない! >>
 << ……繰り返す、スカーフェイス隊の所在を回答せよ >>
 << ふざけるな、スカーフェイス隊なんか何年前だと思ってやがる!そんなものもうねェよ! >>
 << ……当空域のエリアコードNA-P2700を確認 >>
 僚機の悲鳴も罵声もかき消して、平坦な声は繰り返す。
 << 統合軍特殊戦術戦闘飛行隊スカーフェイス基地の座標を確認……スカーフェイス1は、何処だ >>
 << 黙れ!黙れ!この…亡霊め! >>
 奇跡的に赤い翼の背後につけた一機が、得体の知れない恐怖を振り払うように叫びを上げるなり…爆散した。
 機体背面へと向けて発射されたミサイルが真正面から直撃したのだと、おそらくパイロットは最後まで気付かなかったであろう。
 << ……スカーフェイス1に関する情報は未所持と判断。これより殲滅する >>
 赤い翼は、相変らずの平坦な声で、無慈悲な宣告を下した。
 << Z.O.E.,Engage. >>


 ユージア大陸北東部上空を、特徴的なカラーリングのフランカーを先頭にした4機が駈け抜けていく。
 << …司令部より緊急連絡。付近の空域で演習を行っていたゼネラルリソースの部隊が、例の試験機に襲撃を受けたそうです >>
 部隊は七割が撃墜され、残りは被弾しながらも撤退。ゼネラルリソース側はニューコム側に対して状況説明を要求しているとのこと。
 レナの言葉に、場の空気が一瞬凍りつく。
 << なんてこった…どうなるんだ、これから >>
 << ゼネラルからの報復も予想しておかないと駄目、って事ね… >>
 エリックとフィオナの会話を遮るようにして、アラート音が鋭く響いた。
 レーダーに、光点が灯る。
 << ……目標、キャッチしました。各自散開、交戦開始! >>
 << SARF02、了解! >>
 << SARF03,Willco! やるしかねえか! >>
 << SARF04了解。 >>
 上昇していくフランカーの両翼に展開するように機首を翻す二機のデルフィナス#1を見送って、彼も加速を開始する。
 試験運用中の無人機、という情報から機体制御ルーチンの精度は自分と同等か、経験の差からやや下回る程度かと予測していたが、今の情報で完全に予測は覆された。
 相手の機体制御能力も戦術レベルも、かなり高い。
 (侵入できれば…止められるか?)
 一瞬そう考え、無人機ならハッキング対策の障壁も施してあって当然だ、と思い直して否定。
 所詮はコフィン制御用の戦術戦略AIが、ニューコム・インフォ謹製の情報障壁をぶち抜けるとは自分でも思えない。
 つまりは、空の上でどうにかするしかないのだ。
 レナと、フィオナと、エリックと、自分で。
 << エイビス、そっち行ったぞ!ブレイク! >>
 そこまで考えた彼の思考を引き裂くように叩き付けられる叫び声。僅かに遅れて閃光と甲高い音、鮮やかな緋色が目前へと迫り…そして、通り過ぎた。
 冗談のような高速度での、あまつさえ光学兵器によるヘッドオン射撃。出合い頭に撃墜されなかったのは威嚇のためか。
 そして、その声が、問う。

 << 所属確認、新国際連合共同体……回答せよ。統合軍は…スカーフェイス1は、何処だ >>

 古い発音の言葉、聞き慣れない単語。
 << スカーフェイスって、あの?冗談…!50年近くも前の部隊じゃない! >>
 フィオナの、悲鳴にも似た叫びが聞こえる。
 << なんで最新鋭の試験機が半世紀も前の部隊を探してんだよ? >>
 大きく旋回に入った緋色の翼を追いかけようと機体を捻りながら、エリックが呟く。
 << ……スカーフェイス1は、何処だ >>
 硬質で平坦な声が、再度問う。
 << ……その質問の意図するところを述べろ。でなければ回答はできない >>
 質問者よりは柔らかいが、やはり抑揚のない声が、それに答える。
 (………なんか、似てる)
 ふと、そんな事を思いながら。レナは緋色の翼が通り過ぎていった方を…頭上をかすめられて一瞬体勢を崩しながらも、エリックと共に追撃の姿勢に入ったジャーファルコンをちらり、と見遣り、すぐにその思いを打ち消した。
 たぶん、彼が持つ印象と、その声がそう思わせるだけだろう。
 (むしろ、あれに似ているのは…私)
 緋色の翼を駆るのは、飛ぶ事のみを与えられた機械。
 白い(黒い)翼に繋がれた、飛ぶ事しか知らない…それでも、翼を下りれば地を歩くしかない女。
 (私、あれが羨ましいのかもしれない)
 くくっ、と喉の奥で小さく笑い、彼女は、己の翼を空の高みへ向けて加速させた。


 結論だけを言うのであれば、彼らの任務は失敗した…厳密には、司令部から撤退命令が下された。
 ゼネラルリソースからの要求に、ニューコム側は試験機の機動実験中の事故である旨を回答。NEU・GRDF共同作戦により、もって後数時間で燃料が尽きて落下すると見込まれる試験機の捕獲あるいは撃墜を以て(表面上とは言え)和解する事になり、事実上UPEOの出る幕ではなくなった、という事らしい。
 「白状すると俺、生まれて初めてマジで死ぬかと思った」
 「………俺も、墜とされる、と実感したのは…初めてだ」
 休憩所のベンチで紙コップを握りしめながら、エリックがぽつりと呟くのに、彼も小さく頷く。
 「…レナ、笑ってたな」
 「………ああ」
 『あの翼、凄い』
 フランカーを降りるなりそう言った彼女の顔は、太陽光を防ぐためにすっぽりと被ったヘルメットのシェードに隠れていたけれど。
 その言葉には確かに、あの緋色の翼への称賛と憧憬があった。
 しばし無言になり…それを振り払うかのように、エリックはやや大げさに声を上げて見せる。
 「そういやさ、スカーフェイス、だっけ……帰ってから検索してみたんだけどよ、1990年代の傭兵部隊らしいぜ」
 「…フィーが言ってたな、50年は前の話だと」
 「昔も昔、国境にまだ意味があった時代だとさ。同じくらい前でもISAFのメビウス1とかは教本にも載ってるけど…スカーフェイスはあんま聞かないよな。検索でヒットしたのもすげえマイナーなミリタリー系サイトだったし。なんでアイツ、そんな昔のマイナーな部隊なんか知ってるんだ?」
 機動の参考に過去のパイロットのデータぶち込まれてるにしても変だろう、なあ。
 釈然としない顔でそう言って首を傾げるエリックの言葉に、何かが引っ掛かった。
 そういえば、自分の機動は誰のものだ?
 一番最初は、過去のパイロットから無作為に選ばれたパターン。UPEOに配属されて、そこにレナやフィー、エリックの機動をトレースしたものが加わった。あとは経験に応じてアレンジしていき、現在に至るのだけど。
 記憶と記録をひっくり返す。自分の中に刷り込まれた、歴史に名を残すエースパイロットのコールサイン…円卓の鬼神、メビウス1、黄色13、ラーズグリーズ…
 …………Z.O.E.。
 それは、パイロットの名前ではない。
 何時、何処で、いかなる過程で開発されたのかも判らない、幻の自律型戦術戦闘用システム。残っているのはプロジェクトの名にしてそれそのものを示す"Z.O.E."という名称と、自分の中にもその一部が存在する、断片的なフライトレコード。
 もう一度、緋色の翼を思い返す。
 あれは、本当にニューコムの開発した機体なのか?
 不自然な形式番号、どこか違和感を感じるデザイン、公開された開発期間に比してあまりに洗練された戦闘機動。
 そして何よりも、
 << Target insight, Z.O.E. engage. >>
 あれは、自らを"Z.O.E."と名乗った。
 「…………本当に知っている、のかもしれない」
 「あ?何だよそ………あああああああああー!」
 訝しげな声を上げたエリックの手から紙コップを奪い取り、半分以上残っていたコーヒーを一気にあおる。
 「……ごちそうさま」
 「ちょっと待て、お前俺のコーヒー!」
 そのまま立ち上がった背中に、悲鳴めいた抗議の声がかかるのを聞き流しながら。
 彼は、自分のルーツともいえる「それ」について可能な限りの情報を集めるべく、自分の部屋へと駆け込んだ。


AC2&3混合ネタ。"Z.O.E."と"Nemo"、そういえばこのふたつは同じものだな、と。