[EPISODE1:嵐の夜[前編]]

 いつから、この塔のてっぺんに閉じこめられているのか…それは覚えていない。
 ただ、物心ついた頃から私の視界にあったのは灰色の壁と、青い空を閉じこめた小さな窓。その小さな空を、さらに小さく区切る冷たい鉄格子。
 それが、私の知っている世界の全て。

 小さい頃の私には、とても不思議だった。
 どうして、大人達は私をこんな所に閉じこめておくのか。時々やってきて読み書きを教えてくれる大人(彼は「先生と呼ぶように」と言っていた)は丁寧で親切だったけど、どんなに頼んでも外には出してくれなかった。
 だから、小さい頃の私は毎日のように扉を叩いては、ここから出たい、と泣き叫んだ。
 ずっと外に出られないくらいなら死んでやろう、と思って、与えられる食事をこっそり窓から捨てた事もあった。結局、2日目くらいに食事を捨てている所を見つかってしまって以来、食事の時には私が食べ終わるまで誰かが見張っている事になったのだけれど。
 『お前はまだ、ここから出てはいけないんだ』
 そう言われたって、納得なんかできなかったから。
 何度失敗しても、どんなに拒まれても、あの頃の私は泣き叫び、暴れ、ひたすらに外を望んだ。
 いつからか、それをしなくなったのは…別に聞き分けがよくなった、とかじゃない。
 『あの塔のてっぺんには、怖い魔女を閉じこめてるんだって。外に出すとよくない事がおきるから、だから閉じこめてるんだって、お父さんが言ってたよ』
 『帝国が手を出してくるような事があった時には、あの魔女を使うんだろう?そうでもなければ、長老たちは何のために奴を生かしておくんだ』
 『あの塔を見ちゃいけませんよ。あすこには恐ろしい魔女が棲んでいるの。目があったら、お前の魂を持っていってしまうわよ』

 吹き上げる乾いた風に乗って聞こえてくる声が、私の事を言ってるんだと気付いたから。
 災厄を呼ぶ魔女と、みんなは私を呼ぶ。私の事を怖がって、そして、ひどく嫌っている。
 大人達が呼ぶ、私の名前…オルタ。
 きっとそれは、いつか私が外に出た時には、あの朝焼けみたいな血の海を作るからだ。
 だったら、私はずっとここにいる。
 ここにいれば、誰も傷つけないですむ。目を閉じて、耳を塞いでしまえば、何も見えないし聞こえない。
 だから私は、ここにいる。
 今までもこれからも、ずっと…ずっと一人で。

 その夜、私は風の音で目を覚ました。
 この街…イェリコの谷には夕方ごろから窓越しにもわかるくらい強い風が吹いていて、今夜は嵐になるだろう、と大人達が言っていたのを思い出す。
 外では、ごうごうと風が鳴っている。その中に、聞きなれない音が混じっているのに、ふと気付いた。
 鉄格子の隙間を抜ける風かも、そう思いながらも起き上がった私の耳に、はっきりと飛び込んでくるその音。
 …重い羽音。何か大きな生き物が羽ばたく音だ。
 よく聞けば、慌ただしい人の声と、銃声や砲声も聞こえる。
 風と雨で行き先を見失った攻性生物かも。
 ぼんやりと、まだ少し眠い頭でそんな事を考えていた私の耳を、今度は紛れもない人の声が打った。
 「オルタ!」
 長い階段を駆け上がって来る声。少し遅れて、足音がやって来て…それから、扉が開く。
 大きな銃を持ち、泥にまみれ、煤けた顔をしたその大人に、見覚えは無かった。
 「早くここから出るんだ!」
 泥だらけの手に銃を握りしめたまま駆け寄ってきたその人は、私の手を引いて外に出ようとする。
 私が、外に出る…
 「…外は戦いなの?」
 「相手は帝国だ。奴等、お前を狙っている」
 短く答え、その人は、さらに私の手を引く。扉の向こう、激しい戦いが繰り広げられているところへ、私を連れ出そうとする。
 「いやだ。私はここにいる」
 その人の手を振りほどいて、私は首を振った。
 「オルタ!」
 詰め寄ってくるその人が、何か言おうと口を開きかけたのと、風の音の中でさえはっきりと聞こえる叫び声…いや、吼え声が聞こえたのは、ほとんど同時。
 突然の衝撃が、塔を大きく揺らした。
 「!」
 床に投げ出され、一緒に襲ってきた閃光に思わず目を閉じた私が、おそるおそる目を開けた時。
 私の周りにあったのは、もうもうと巻き上がる砂ぼこりと、散らばった瓦礫、そして、その下から覗く…人の腕。まだ握ったままの白い銃を、じわじわとしみ出てくる真っ赤な血が濡らしていく。
 怖かった。でも、それよりももっと恐ろしいものが、私の目の前、吹き込んでくる雨と風の中にいた。
 ぬめぬめと光る鱗に覆われた、蛇のように長い首と太い胴体は、ぐねぐねと蠢く長い尾に続いている。肩からは鋭い鉤爪の生えた大きな翼。
 目があるとは思えないのに、正確に私のほうを向いた「それ」の、のっぺりとした顔の中で不釣り合いに大きな口だけが、真っ赤な舌を閃かせて吼える。
 さっきの声は、これの声だったんだ。
 そう思いながら、私は「それ」から少しでも距離を取ろうと、広くはない部屋の中、それでもじりじりと後ずさる。
 これは、どう見ても普通のいきものではない。攻性生物だ……けれど、こんな攻性生物、先生が持っていた大きな本ですら見た事がない。
 『目標を確認しました!』
 …声?
 「それ」が喋った…訳が無い。
 『よし、速やかに回収しろ!』
 別の声が聞こえたのと同時に、私の背後で再び壁が弾ける。
 振り向いた目の前で、「それ」が吼える。その背中に見える、不自然な瘤のような物が人の頭だと気付くまで、少し時間がかかった。
 人が乗っている攻性生物?そんなの、聞いたことがない。…ただひとつの例外を除いて。
 「……ドラゴン……?」
 でも、帝国がドラゴンを飼い慣らしたなんて、信じられない。
 恐怖と驚愕で混乱しかけた私の頭の隅で、それでもどこか冷静な私が警告している。
 このいきもの達は、私の敵だと。
 一歩踏み出した帝国のドラゴン…そうとしか呼びようがない…の翼の下をかいくぐり、私は咄嗟に床に落ちていた銃を掴む。
 並の攻性生物の甲殻くらいなら、簡単に撃ち抜ける<旧世紀>の銃。けれど、こいつらに効くのかどうか判らない。
 でも、今はできる事をしなくちゃいけない。
 血と雨に滑るグリップを握りしめ、私は、自分の手足を拘束する鎖に銃口を押し当てて、引き金を引いた。
 このまま流されるのではなく、自分の意思で流れに逆らうために。


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