[EPISODE1:嵐の夜[後編]]

 『どんな奴かと思ったら…まだ小娘じゃあないか』
 一際大きな羽音が響いたのに続いて、その声が聞こえた。
 塔の残骸に脚をかけ、こちらを見下ろす帝国のドラゴン、その背中から少し身を乗り出すようにして、一人の帝国兵が私を見ていた。
 『エヴレーン隊長!不用意に外に出るのは…』
 「はん、シーカーどもに何ができる?我らドラゴンメア部隊の敵ではない。貴様も判っているだろう」
 獰猛な笑みを形作る唇からこぼれる声は、しゃがれてはいるけれど、紛れもなく女の人の声。
 目深にかぶったヘルメットで、顔はわからない…けど。
 私が銃を向けているというのに、この人はまだ笑みを浮かべている。
 僅かに見える口元、そこに浮かんだ、どこか歪な笑みが、私を怯えさせる。
 「まぁいい」
 軽く鼻を鳴らして、彼女は、ぱちり、と指を鳴らした。
 「さっさと連行するぞ。暴れられると厄介だ、手足の一、二本でも折って大人しくさせろ」
 その声に応えるように、私を取り囲んだドラゴンメア達がその口を大きく開くと、喉の奥に緑の光を溜めはじめる。
 みるみるうちに膨れ上がっていく光を、呆然と見る事しかできずにいた私の耳に突き刺さる、澄んだ声。
 雨の音の中を凄まじい速さでこちらへと近付いてくる、羽ばたきの音。
 突如視界を薙ぐ、白く輝く光の筋。
 …………そして。
 私の目の前に立つ、深い緑の鱗と白い甲殻に覆われた、大きな翼を持ったいきもの。
 突然の攻撃にひるんだドラゴンメア達の真ん中で。
 もう一度、それは天に向かって吼えると、私をまっすぐに「見た」。
   乗れ、生きたいのならば。
 こちらを見据える金色の瞳。その目に、そう言われた気がした。
 考える間もなく、背中に飛び乗った私が長い首にしがみついたのを確認して。

 風を巻き起こしながら、ドラゴンは嵐の空へと矢のように飛び立った。

 谷は、風と炎が渦巻く戦場になっていた。
 崩れた見張り台の間を戦闘艇が飛び交い、焼かれた建物の残骸や、かつては人だったものを戦車が踏みしだく。
 横殴りの雨に叩かれながらドラゴンの背にしがみついていた私の背後、すぐ近くで。
 『ドラゴンか…面白い!』
 あの、しゃがれた声がした。
 振り向けば、恐ろしいほどの速さで飛んでいるはずのドラゴンの後ろに、ぴったりと張り付いて飛んでいるドラゴンメアの姿。
 思わず銃を構えようとして、危うく私は体勢を崩して落ちてしまいそうになる。
 私を落とさないようにバランスを調整しながらも、ドラゴンメアの口から吐き出された光弾を避けながら渓谷の東へと飛ぶドラゴン。その間に、私は彼の背中を覆う真っ白い甲殻を両の膝で挟むようにして中腰の姿勢になると、銃をしっかりと握り直した。
 行く手を遮ろうと砲身を向けてくる帝国戦車や戦闘艇に、白い銃から吐き出された弾丸が牙を剥く。
 <旧世紀>の銃は個人が携行できる武器の中で、戦闘艇の装甲を貫く事ができる数少ない武器の一つだが…
 ……駄目だ。数が多すぎる。
 戦闘艇の幾つかは撃墜に成功するものの、それこそ無数に湧いてでるかのような帝国軍の全てを相手にするには、銃は小さすぎたし、私は戦闘経験が無さ過ぎた。
   …掴まっていろ。
 たちまち囲まれ、半ば恐慌状態に陥っていた私の耳に、またあの声がした。聞こえないのに聞こえてくる、不思議な声。
 私が甲殻に手をかけ、姿勢を低くしたのを確認して。
 それまで、時折進路上に舞い降りてくるドラゴンメアを口から発射する光の矢で牽制していたドラゴンは大きく一度羽ばたき、次の瞬間、猛然と加速した。
 風と衝撃波、それと爆音が、びりびりと鼓膜を震わせる。
 その速度と、強固な甲殻そのものを武器にしたドラゴンは、戦闘艇の群れを叩き落とすと再度減速。
 私も、姿勢を戻すと再び銃を構える。
 激しく打ち付ける風と雨の向こうに、谷の入り口が見えた。
 幅の狭い水路。ここなら、ドラゴンメアの巨体は通り抜けられない。
 だが、同時に水路の幅は、ドラゴンが、その翼を広げてどうにか通れる程度しかない。
 抜けられるか?
 そう、ちらりと考えた私の足下で。ドラゴンの身体が、奇妙に歪んだ、ような気がした。
 不意に、その翼を畳み込んで。
 ドラゴンは身体を丸め、揚力を失ったその身が失速する直前、再度大きく羽ばたいた。
 先程のより、一回り以上小さくなった身体と、蒼い光を放つ翼で。

 イェリコの谷に流れ込む、川の地下支流が轟々と渦巻く細い水路は、どこまでも続いていた。
 水車と、水路を照らす僅かな灯しか見えない中、ドラゴンは風を切って、風に乗って真っ直ぐに飛び続ける。
 「……きれいだね、お前の翼は」
 場違いな台詞だと思いながらも、私はそう思わずにはいられなかった。
 ぼんやりと燐光を放つ翼を眺めながら呟いた私の声に、ドラゴンは一声、長く鳴いた。


 谷の出口を飛び出した瞬間、強烈な白い光が突如として私の目を灼いた。
 目を細めながらも、私はどうにかして光の出所を確かめようと顔を上げる。
 そこに浮かんでいたのは、本で見た事がある帝国戦艦…空母ヴァーマナ。
 ぎぎぃっ、と音を立てて、甲板に並んだ高射砲台が私たちの方を向く。
 ドラゴンの身体が、再び収束し、不意に弾ける。

 それはまるで、燃え上がる炎のように。

 巨大な真紅の翼を羽ばたかせ、ドラゴンは高く叫ぶと、その口から強烈な光を束にして吐き出した。

<< Back Next >>

[ Return to contents. ]