[EPISODE2:迷宮の森[後編]]

 白いドラゴンメアが、遥か遠くへ飛び去ってしまって、しばらくして。
 そこで初めて、私は周囲の景色に気が付き…そして、途方に暮れた。
 どこを見ても、私たちの周囲にあるのは終わりの見えない森と、大きな河。
 私たちは、どこまで飛んできてしまったんだろう?
 途方に暮れながらも私は、あの塔にいたころ先生が見せてくれた地図(どうせ塔の外になんか出られないんだから、とろくに見てもいなかったのだけど)を、なんとか頭の中で広げてみる。
 「ええと、確かイェリコから北東の方向に流れてる川があって、その周りが大きな森だった、ような…ああっ、駄目だ!」
 太陽の位置を確認しながら記憶をひっくり返し、しかし唐突に「方角が判っても、結局ここが森のどの地点かがわからない」という根本的問題に突き当たって、私は思わず頭を抱えた。
 折角上から見下ろしているのに、地図をほとんど覚えていないから、地形と地図を照らし合わせることもできない。
 ああ、こんな事ならもっと真面目に聞いていれば!

 結局、私はドラゴンに少し高度を下げさせると、河に沿って下ってみることにした。
 この河に微細菌汚染が広がっているかどうかも良く判らないけれど、河があるならどこかに集落(たとえ汚染されてても、水は重要だからきっと煮沸器があるはず)があって、そこで土地の情報がもらえるかもしれない。
 ……それに、正直な話、少しお腹が空いている。
 「ドラゴンの乗り手は疲れ知らずになる、とか言うけど、案外昔話ってあてにならないのね」
 思わずこぼした私に、ドラゴンは笑うように喉を鳴らした。

 初めて見る本物の森の中は、眩暈がするほど色鮮やかで、そして騒々しい。
 図版よりもずっと目に痛い色をした連隊蝶(プトゥ)の大集団や、柄長菊(ゴレンガ)の群生、河蛾(ヤーヴァ)…ひっきりなしに現れては、見慣れない生物(わたしたち)に驚いて逃げたり、縄張り荒しと思ってか、それとも獲物だと思ってか飛びついてきたり。
 最初は物珍しさに大喜びで見ていたのだけれど、あまりの数の多さに逆に不安になってきた。
 これだけ攻性生物の数が多いとなると、このあたりには人は住めないんじゃないだろうか。となると、このままどこまで飛んでも集落なんかないのかもしれない。
 どうしよう、と悩み始めたとき。
 遠くから、人の声を聴いたような気がした。何人かで大声をあげて騒ぎ立てている、そんな感じの声。
 それと、何か大きな獣の声…もしかしたら、ハンターがいるのかも。
 「おねがい」
 私の声に応えて一声鳴くと、ドラゴンはその長い首を巡らせて上昇した。上から探せ、という事らしい。
 そして「彼」の示す通り、案外あっけなく、私は声の元を見つける事ができた。
 河の上を跳ねるようにして長い身体をくねらせる、大泥喰蟲(ヨンドワーム)と……………
 「…なんだ、あれ」
 思わず、そんな言葉が口をついて出るほど、その集団は奇妙だった。
 緑色の身体に、奇妙な形の頭。遠くてよくわからないけど、どうも蟲の血を身体になすりつけ、大きなお面を被っているらしい。
 その素っ頓狂な外見にも驚いたが、何よりも私が驚いたのは、そのひとたちが乗っているのがポッドとかでなく、攻性生物だった、という事。
 飛顎蟲(シャプリ)に似ているけど、もっと丸っこい蟲の背中に籠をつけて、その中に人が入っている。
 私が呆気にとられている間にも、ハンターたちは蟲を縦横無尽に操って、手際よくヨンドワームを追い立てていく。
 『よぅし、そろそろだぞ!』
 ひときわ通る大きな声が響いた、と思ったとき。ヨンドワームは身を大きくくねらせて、横に広がる木立の中に逃げ込んでしまった。
 たちまち木の間に消えていく尻尾を見送りながら、それでもハンター達は追いかけようともせずに、その場にとどまっている。
 次の瞬間。
 木々の間から、蔓のようなものがしゅるしゅると伸び出した。でたらめに振り回されるそれに続いて、顔を出したのは大きな花。
 変に甘酸っぱい匂いを撒き散らしながら川面に姿を現した屍臭花(イクラクラブ)…どうやら、ハンター達はこいつを誘い出すためにヨンドワームを追い立てていたらしい。
 『おいでなすったなぁ!』
 次々と鬨の声を上げて、ハンター達の操る蟲が巨大な花の周りを飛び回る。
 名前通り、屍肉の香りを撒き散らすこの花は周囲の肉食生物を呼び集めやすい。さらにこの花ときたら、死ぬと半日ほどで腐ってしまい、何リオンも先にまでひどい匂いを撒き散らして辺り一帯の攻性生物を引き寄せる…と、先生が言っていた気がする。
 たぶん、彼らは屍臭花を狩ることで次の狩りの準備をするつもり、なんだろう。
 その騒々しい光景を眺めていた私のほうを、突然ひとりのハンターがひょい、と振り向いた。
 「おい、そこのアンタ!」
 「!」
 ちょっと妙な訛りがあるけれど、明らかに共通語で、私に向けての呼びかけ。
 「いい蟲に乗ってるじゃんか!どこの氏族か知らんが、アンタも手伝ってくれよ!」
 む、蟲……
 「…ドラゴン、なんだけど」
 たぶん。
 「おーおー、そりゃ心強い…ええい、大人しくしやがれこの×△○□(聞き取れなかった。たぶん彼らの部族の罵り言葉なんだろう)め!……とにかくよ、コイツをさっさと仕留めたいんだ、分け前は弾むぜ?」
 あからさまに聞いていないのが丸判りな返事を返しながらイクラクラブと格闘しているそのひとを見下ろしつつ。
 ちらり、と視線をずらせば、溜息にも聞こえる唸り声を喉の奥で鳴らす「彼」と目が合う。
 まあ、その気持ちは判るし、彼らが信用できるかどうかまだ判らない現状では、私自身あまり乗り気じゃないのだけど。
 白状してしまえば、「分け前」の一言がちょっぴり魅力的だったりするのも事実。
 「………手伝って、あげようか」
 呟いた私に、ドラゴンはもう一度、溜息のような唸り声を上げつつも羽根を一打ちして急降下を始めた。

 騒々しい狩りは、意外と早く終わった。
 私だけに限って言うのであれば、イクラクラブに住み着くヤーヴァに飛びかかられたりとか、不用意に正面に出てしまって噛み付かれかけたりとか、危ないと言えば危なかったのだけど、ハンター達は手慣れた様子で蟲を撃ち落とし、後ろに回り込むようにと声を掛けてくれ、おかげで私もドラゴンも大した傷を受ける事なく、こうして川面にふらふらと落ちていく屍臭花を上空から見下ろしている。
 「ようし、上出来だ!明日になればいい狩り場になるぜ、ありがとよ!」
 歌うような声で、踊るようにこちらを振り返ったハンターが、そのままの姿勢で固まった。
 「ちょ、おま、お前、そいつぁ…何だよ、おいっ!?」
 「だから最初に言ったわ、ドラゴンだ、って」
 「嘘言うな!ドラゴンってーのはそこらのガキんちょが乗れるような攻性生物じゃねーぞ!……あ!お前さては帝国のドラゴンメア乗りだな!くそっ、親切ぶって俺らに近づこうったってそうはいかねぇぜ!」
 ……あれ、話が変な方向に転がり出したような。
 「あの、私は……」
 とりあえず説明しようと口を開きかけたところで。
 「うるせー!俺様を騙せると思うなよ、帝国め!」
 早口でまくし立てると、蟲使い達はあっという間に木々の間に飛び込んで消えてしまった。

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