[EPISODE2:迷宮の森[前編]]

 それは、あまりにも短い時間でのできごとだった。
 炎の翼が撃ち落とす光の束は艦載機を瞬く間に鉄塊に変え、光の翼は次々と牙を剥く噴進弾の群れをやすやすとすり抜けて舞い上がり、そして風の翼は流星の矢を雨のように降り注がせる。
 帝国戦艦の巨大な船体から、たちまちのうちに炎と黒煙が上がり始め…
 浮力と制御を失った戦艦は、谷底に吸い込まれるように落下していった。
 「……!」
 吹きつける熱風に、思わず顔をかばい。
 谷底で炎上する戦艦を見下ろし、私はドラゴンの首を覆った甲殻にそっと触れてみる。
 「おまえ…どうして、私を助けたの?」
 問い掛けた声に、長く尾を引く咆哮で答えて、ドラゴンは少しずつ高度を下げ始めた。
 あの不思議な声は、私の空耳だったのだろうか?
 ほんの少し失望し、それでも当面の危機を回避してほっと一息ついた私の頭上を、大きな影が横切った。
 風を切る、重いはばたき。濁った吼え声と、敵意の篭もった眼差し。
 …追いつかれた!
 『隊長、こいつ……母艦を!』
 『まさか、こいつ…前帝を滅ぼした"災厄の翼"じゃ……』
 『無駄口を叩くな』
 怯えたように囁き交わされる声に混じって、あの女隊長…エヴレーンの低い声がした。
 『その伝説、今ここで叩き落としてくれる』
 声と同時に、叩き付けるかのような光の飛礫が咄嗟に身を捻ったドラゴンの翼をかすめる。
 それを合図にしたように、四方から叩き付けられる光の飛礫。翼を変えて逃れようにも、その時間さえ与えてくれない。
 『墜ちろ、災厄!!』
 勝ち誇った笑い声は、最後まで聞こえなかった。

 じぁぁぁぁあぁぁぁぁぁッ!
 それはまるで、錆び付いた録音機を無理矢理歌わせたような声。
 濁った、けれども鋭い咆吼が上空から降り注いで…弾幕が、急に途切れた。
 振り仰いだその高みには、
 白い、翼。
 形こそドラゴンメアと同じ、けれども大きさは一回り以上違う攻性生物が、そこで羽ばたいていた。
 全身を覆う純白の甲殻。その背の上に、同じくらい白い影が佇んでいる。
 …その乗騎と同じくらい歪な、それでも明らかに人の姿であると判る、真っ白い、影。
 亜人。あるいはドローン。あるいは人型攻性生物。
 本でしか見たことのない「それ」が、ゆらり、と腕を振り上げた。
 白いドラゴンメアが、それに応えて喉の奥に光を溜め始める。
 『おのれアバド、亜人風情がヒトに逆らうかッ!』
 エヴレーンの罵声を掻き消すように咆吼した白いドラゴンメアの口から放たれたのは、光の矢。
 たちまちのうちに、ドラゴンメア達は翼を射抜かれ、手足を焼かれ、尾を裂かれて苦痛の叫びを上げ始めた。
 『このノロマ共が…総員、退避!』
 唯一人、全ての矢を回避しきったエヴレーンのドラゴンメアが、一瞬、ドラゴンの隣へと並ぶ。
 ヘルメットのバイザーを上げたその顔が、私を見て、にやり、と笑った。
 「覚えておきな、朝焼けの魔女…お前は必ず、アタシが墜とす」

 静けさを取り戻した空に響くのは、二つの羽ばたき。
 <…………オルタ>
 頭上から降り注ぐ軋んだ声に、私は反射的に銃を向ける。
 そこで初めて、私は「それ」の姿を正面から見る事になった。
 不自然に捻れたそのシルエットの、頭とおぼしき所に並んだ、昏い、二つの底なしの穴。
 それが目だと…攻性生物の目でもなければ、ヒトの目でもないものだと気付いた途端に、形容しようのない寒気が背中を走った。
 「…何故、私の名前を知っている」
 <私はお前を知っている>
 「それ」は、私の問い掛けにも、自分に向いている銃口さえも見えていないかのように淡々と言葉を紡ぐ。
 <この荒れ果てた世界を救うために>
 口が動いているのに、どこから声を出しているのか判らない。
 <お前の力が必要だ>
 「それ」が、何を言っているのかすらも判らない。
 「どういうことだ!」
 その問い掛けに答える事無く。
 再び軽く腕を振った「それ」の足下で白いドラゴンメアが大きく咆吼すると、突如身を翻す。
 瞬く間に小さな点となって消えた白い翼を呆然と見送り…それが完全に見えなくなってから、ようやく私は我に返った。
 「………追って!」
 私の声に、ドラゴンは一声長く鳴いた。


 ごうごうと耳元で鳴る風が、頬に痛い。
 それほど急いでいるようにも見えないのに、白い翼は恐ろしい速度で私の視界から遠ざかっていく。
 「もっと早く!」
 急かす声に応えてドラゴンが羽ばたく…それでも、圧倒的な速度差は埋められない。
 ついにその背中は、空の彼方へと消えてしまった。

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