栄華を誇った文明が滅んで数千年……
かつての力を失った人類は
自らが生み出した遺伝子改造による生物兵器に脅かされながら
黄昏の時代を過ごしていた。

「旧世紀」の発掘兵器を使い戦争を繰り広げる国家の噂もあったが、
そこに生きる人々は今日の糧のこと意外考える余裕を持てなかった。

………そんな、どこにでもある辺境の村で事件は始まった。


 クーリアの変種が発する不思議な青白い光…
 それは不吉の象徴だと、誰かが言った。

 村の広場に、大人たちが集まっていた。
 手には、石弓矢。どこか殺気立ったような表情で見つめる視線の先に、小さな生き物がいた。
 村で飼育している野駆け(クーリア)の仔。
 生まれたばかりのそいつは、小さな頭を上げてきぃ、と鳴いた。
 本当なら、退化して小さくなっているはずの前脚と後脚、合わせて4つの脚を、大地に踏ん張って。
 その喉元には、奇妙な紋章めいた青白い光。
 鳴き続けるそいつに、大人たちが弓を向ける。
 矢が放たれる乾いた音がして、小さな頭がぐったりと地面に落ちた。

 その日の夕食は、少しだけ量が多かった。
 メッカニア連邦から来た使者が、僕の育てたクーリアを高く買っていったらしい。
 「さすがだな、ランディは。その年で立派な一人前の飼育係だ」
 「今度の月で10と4つとは思えないな」
 満足そうな笑みを浮かべる親方と、口々に褒めそやす仲間たち。その裏に、少しの羨望と嫉妬を込めて。
 「そんな事、ないよ。僕なんかまだまださ」
 上の空で答えながら、味の薄いスープを呑み込んだ僕は席を立った。
 「小屋に行ってくるよ。…ジグの仔ももうじき生まれそうだし、様子を見てくる」

 大きな腹を抱えた牝のクーリアが、落ち着かなく厩舎を歩き回るのをなだめながら、僕は親方の言葉を思い出していた。
 ちょっとでも失敗すれば、容赦なく拳骨や平手が飛んでくる毎日の中で僕の育てたクーリアが評価される時は、数少ない褒められる時だ。
 でも、あまり嬉しくないのは何故だろう?
 考えて、ふと僕は昼間の光景を思い出した。
 「最近、やけに変種が生まれるな」
 「…気のせいさ…」
 もう動かない変種の仔を、弓を構えたまま見据えながら、大人たちは囁きあう。まるで、そいつがまた起き上がってくるかとでも思っているかのように。
  変異種。
 人になつかず、売り物にもならない、そして何より、不吉の象徴とされて忌み嫌われるもの。
 だけど。
 僕にとっては、同じクーリアだ。喉元の青白い光だって、別に不吉とも何とも思わない。
 殺すことなんか、ないのに。
 けれども、そんな問いは無意味だ。
 変種は、生まれしだい撃ち殺す。
 それがこの村の掟だから。
 でも。
 目の前で撃ち殺された変種の仔の姿が、目に焼き付いて離れない。
 死骸は、村の外の荒れ地に捨てられた。今頃は、攻性生物たちの餌になってるだろう。
 今までも、そうやってきたんだ。
 流行り病で死んだ母さんも、あの頃、本当に小さかった妹も。
 白い布でくるまれた母さんと、その胸に抱かれた、白い小さな包みになってしまった妹が、わずかな弔いの花と一緒に、谷に投げ落とされる。
 次々と谷底に吸い込まれていく、白い死人の列。
 みんな、谷の底で眠っている。
 どっちも、触れてはいけない穢れという点ではおんなじだ。
 そして、僕も。
 元々流れ者のハンターだった父さんは、村では浮いた存在の人だった。
 母さん達の薬を探しに行った半月後、旅のハンターが拾った愛用の銃とぼろぼろになった服、足だか腕の骨と、そして血のこびりついた攻性生物の爪だけになって帰ってきた父さん。
 以前、村の周りに出ていた攻性生物を退治した事がなかったら、よそ者の、しかも唯一村との繋がりがあった母親を流行り病で亡くした子供なんか、たちまち荒れ地に捨てられてしまっただろう。
 考え込んでいた僕を、ジグの鳴き声が現実に引き戻した。
 クーリアのお産、特に初産は飼育係にとって課題のひとつだ。
 無事に仔を産める牝は決して多くない上に、最近は無事生まれてきても変種の仔ばかり。もしここで彼女が死んでしまったりしたら、きっと叱られる。
 最も、ここにいるのが僕でなかったとしても、結果は同じだろう。みんなは腕のいい飼育係がいればいいだけで、それが僕でなくちゃいけない訳ではないんだから。
 よほどつらいのか、枯れ草の上に横倒しになって鳴くジグの声が、暗い厩舎に響く。
 ただならぬ気配に、周りのクーリア達が騒ぎだした。
 …これは、大分危ないかもしれない。
 そう思った矢先に。
 空気を切る重い音と一緒に、暴れたジグの足と尾が、僕の目の前を通り過ぎていく。
 慌てて避けた顔に、生暖かいものが飛んだ。
 血だ。
 よく見れば、子供が半分出かかっている。けど、このままでは親に潰されてしまうかもしれない。
 でも、暴れるクーリアは僕一人では押さえられない。下手をしたら、蹴られて首の骨を折ってしまうだろう。
 「誰か!誰か来て!ジグが暴れてるんだ!押さえなきゃ!」
 小屋の外に向かって叫ぶ僕の背後で、血の匂いに興奮したクーリアたちが吠える。
 それに混じって、鈍い音がした。
 振り向いた僕の目の前。
 暴れた拍子に柵に頭を打ち付けた牝クーリアが、その長い尾をだらりと垂らして死んでいた。
 ……駄目だった。それも、最悪の結果。
 この調子だと、仔も潰されてるかもしれない。
 絶望的な気分で、それでも僕はジグの尾を持ち上げてみる。
 かさり、と小さな音がした。
 続いて、きぃ、という鳴き声。
 「よかった…無事だった」
 言い掛けた声は、最後まで続かなかった。
 小さなクーリアの仔は、その前脚で枯れ草を押し分けながら這い出てくる。
 ………ひれのような形をした、指のない前脚で。
 『翼だ……』
 反射的に、そう思った。
 そいつは、どうにか枯れ草の中から這い出すと、その羽根をばたつかせて再びきゅいぃ、と鳴いた。
 その喉元では、あの青白い光がぼんやりと光っていた。

 駆け付けた仲間達に、僕は仔は死産だったと言った。
 誰も、それを確かめようとする人はいなかった。血の匂いで興奮したクーリア達が吠え狂う厩舎に入ってくる勇気は、誰にもなかったらしい。
 翌日、ジグを死なせてしまった事でこっぴどく叱られたあと、朝食を抜かれた僕は、こっそり家の裏手にある物置小屋へと向かった。
 あの変種の仔は、そこの物置に隠してある。
 扉を開けたとたん、きぃ、という声が僕を迎えた。
 今すぐにでも飛んでみせよう、とでも言うかのように小さな翼をばたつかせ、大きな目で僕を見上げる変種の仔。
 こいつは、大きくなったらどんな姿になるんだろう?
 翼の生えた小さなクーリア、伝説の生き物、風と共に空を駆ける翼を持ち、その光の矢で敵を討ち滅ぼす、この辺りの伝承では神の使いとも呼ばれる<旧世紀>最強にして最も美しい生物、ドラゴンの仔。
 …馬鹿馬鹿しい。
 そんな事を考えてるから、周りから流れ者の息子だけあって、ランディ=ジャンジャックは心がいつでも旅をしてる、とか言われて笑われるんだ。
 それでも。
 僕は、掟を破るつもりはなかった。
 …ただ、殺せなかった。
 こいつの翼で、空を飛んでみたい。
 いつもと変わらない日常を、こいつは変えてくれるのかもしれない。
 その考えが、こいつを見た瞬間に僕の心を捕らえてしまったから。
 「いつか、お前は僕を空に連れて行ってくれるかい?」
 変種の仔を抱き上げて、その大きな黒い瞳を見ながら僕は問う。
 「なぁ、ドラゴン……ラギ」