「御頭ぁ!ちょいと来てもらえやすか!こりゃ一体…」

 僅かに露出した肌を刺す、寒冷期の凍れる空気。繁殖期を間近に控えながら、山間部は麓といえど厳冬に翳る。部下に呼ばれた男は、やれやれと幌から外へ出た。大規模では無いが小さくも無い、彼が指揮する旅団の隊列…その荷車を引くポポもどこか寒々しくて。強くは無いが止まない吹雪に思わず、男は外套の襟を立てた。

「どーしたぁ!ガウシカの群でも見つけたか?」
「へぇ、それが…兎に角来てくだせぇ!」

 小高い稜線の向こうへ続く部下の足跡は、既に雪が覆いつつある。男はやれやれと溜息を吐きながら、まだ柔らかい新雪をギムギムと踏みしめ歩き出した。出来ればこの地は、何事も無く無事通過したかったが…斥候の声色から、何かしらアクシデントが発生した事は明白で。

「ま、この地なれば…禁忌の山なればこそ、か」

 男は恨めしそうに、嵐のヴェールを纏った頂を見上げる。そこは禁忌の山と恐れられ、一年中豪雪と吹雪に覆われ閉ざされた地。元々迷信深い方では無いが、季節外れの吹雪に見舞われれば…少なくとも否定する気にはなれない。猛者集う手練揃いの傭兵団≪鉄騎≫を束ねる者と言えども。

「すんません御頭、こっちでさぁ」

 鉄騎槍を背負った部下が、巨大な盾を傘代わりに立ち尽くしている。百戦錬磨の狩人集団である≪鉄騎≫の一員ともあろう者が、これしきの吹雪で何をうろたえるか…小さく舌打ちを零しながら、男は部下の傍らに立つ。大方、予想外の大物…例えばドドブランゴとかを発見したとか。団長である自分にとっては、他愛のない事だろうと思いながら。男は部下の指差す方向へ目を凝らす。

「ありゃ何ですかね…御頭の元で十年闘って来やしたが。あんなの初めて見ますぜ」
「!?…おい、今すぐ走って親衛隊を全員連れて来い。今すぐだ!」

未確認生物。

 檄を飛ばすや否や、転げるように部下がキャラバンへと走ってゆく。その背を見送り呼吸を落ち着け、男は再度見下ろした。今しがた部下が申告してきた、自分も同様に始めて見る物体を。それはかつて生命の息吹を宿して躍動したであろう、生物の死骸…ただし、始めて見る異形の。あらゆる飛竜を狩り、古龍さえも撃退する傭兵団≪鉄騎≫の団長が、である。

「こりゃ、死んでるのか?はてさて、こいつは儲けの種か、はたまた災いか」

 洞察力と直感を総動員しながら、慎重に男は近寄る。つい先程まで生きていたであろう、異形の飛竜へ。そのシルエットは今まで狩ったどの竜とも異なり、寧ろ古龍のそれに近い。極めて前足に近い形状の翼が、四肢を持つ古龍を髣髴とさせる。加えて異常に発達して張り出した強靭な顎…間違いなく新種と確信して、男の胸は高鳴る。長く狩りに生きて来た男の血が沸き立つのだ。世の広さを痛感して、好奇心が高鳴った。

「何です御頭、この寒い中呼び出されちゃかないませんぜー」
「ちょうど一杯引っ掛けてたとこでさぁ…こりゃ酔いも冷めちまう」
「っと、こりゃ何だ!?…御頭がやったんで?」

 幹部クラスがこぞって現れ、男に並んで驚きの声を上げる。自身に勝るとも劣らぬ熟練ハンターが見てもやはり、抱く感想は同じらしい。傭兵団≪鉄騎≫の団長と親衛隊が知らぬなら、世の誰もが知らぬ事だろう。間違いなく眼前の物体は、新種の死骸。

「こりゃ凄ぇ!ははっ、いい土産が出来たってもんよ!」
「おい待て、狩人の掟を忘れ…!?」

 酒と興奮に酔った一人が、剥ぎ取りナイフ片手にヨタヨタと近寄る。制止しようとした男は突如、聞き慣れぬ叫びを聞き振り返る。気付けばもう、吹雪は嘘の様に止んでいた。続いて周囲の親衛隊達も視線を巡らせ…同時に、その一人の手からナイフが宙を舞った。甲高く響いた銃声と共に。

「…その竜に、触れて、は…なりま、せ…ん」

 不意に現れたのは、ボウガンを構えた金髪の少年。当初聞き慣れぬ異国語を叫んでいた彼は、最後に公用語を搾り出すと、そのまま新雪に倒れ込んだ。唖然と互いに顔を見合わせる親衛隊達を尻目に、男は黙って歩み寄る。狩りの掟に従って。

「そのままにしておけ…ソイツはどうやら坊主の獲物らしい」

 力尽きた少年を抱えると、男は顎をしゃくって撤収を促す。既に異形の新種はもう、先程まで吹き荒れていた雪に埋もれて見えない。満身創痍の少年だけが、男の手の内にあって小さな吐息を微かに刻む。ふと振り返れば、禁忌の山へ日の光が差し…その雲に覆われていた頂が姿を曝していた。