広がる青空を渡る風は、冷たいながらも穏やかで。雪深く道無き道程も、仰々しい嘗ての呼び名を髣髴させるには至らない。ヴェンティセッテは何度も読み返した姉のレポートを思い出し、その文面の一部を呟きながら歩を進めた。

「禁忌の山と呼ばれるこの地には、辺境の小さな村があった…以上、と。そりゃ怒られるよ」

 長々と消息不明になった挙句、疲労困憊で帰還した、王立図書院の特別調査官。あの禁忌の山からの生還とあって、直ぐに報告を迫られたのだが…彼女は「ただのド田舎村があった」の一言で済ませてしまったのだ。無論、多くの書士から失笑と落胆を買占め、筆頭書記官にはキツイお叱りの言葉を戴いたとか。

「だからって何も、再調査に俺を指名しなくてもいいじゃないか」

 それはどこか、指名された本人には八つ当たりにも感じられて。ぼやきながらもヴェンティセッテは、その名も過去のものとなった禁忌の山を一人行く。この先にもし、本当に小さな集落があるだけならば。今回の任務は非常に楽な物となるだろう。
 と、ヴェンティセッテの行く手に、小さな人影。向こうも此方を見つけたらしく、大袈裟に手を振り駆け出した。まだまだ両者の間には、結構な距離があるにも関わらず。何か違和感を感じる反応にしかし、戸惑いつつも。彼は歩調を変えずに近付いて行く。どうやらこの山に、村があるというのは本当らしい。

「はぁはぁ、ぜぇぜぇ…ふーっ!こっ、ここ、こんにちは!」
「こんにちは。何もそんな、全力疾走して来なくても」

 それはガッチリと旅装に身を固め、大荷物を背負った幼い少女で。どうやらハンターでもあるらしく、初心者用の弓矢が荷物から覗く。彼女はまるで、砂漠でオアシスを見つけた旅人のように、大きな瞳を輝かせてヴェンティセッテをじっと見詰める。

「良かった、外の人とでも言葉は通じるんですね!」
「外の?あー、うん。ひょっとして、この先にある村の人?」

 ハイ!と、元気な返事。少女は心底物珍しそうに、ヴェンティセッテの周囲をグルリと回る。興味津々な視線にさらされながらも、ヴェンティセッテは暫く黙って立ち尽くした。村の事とかを、出来れば詳しく聞きたいのだが…話を切り出そうにもタイミングが掴めない。

「ふむふむ、なる程なる程…あれ?どっかで会ったような?でもそんな筈…」
「あ、あの…そろそろイイかな?俺、王立図書院の書士なんだけど」
「王立図書院?そ、それは何ですか!?」
「いやその、西シュレイド王国の…」

 先ず西シュレイド王国の事について。順を追って王立図書院と書士隊の事を説明し、たっぷりと質問攻めにあった末。どうにかヴェンティセッテは、辺境の少女との会話で主導権を得る。まだまだ聞き足りないとばかりに、目を輝かせる少女を宥めつつ…懐の地図を出しながら本題に入ろうとした。

「何ですかそれ…あ、地図!?ひょっとして外の世界の?うわっ、いいな〜」

 無邪気で無垢なその視線に、結局ヴェンティセッテは根負けして。それでも、彼女が地図に夢中で魅入っている間、様々な事が聞き出せた。それは全て、姉のレポートを裏付ける結果となり…禁忌の山には本当に、ただ辺境の村があるだけと結論付けるしか無かったが。

「…そんなに珍しい?よなぁ…その地図。そろそろ俺、先に進みたいんだけど」
「あっ、すみませんっ!今日、初めて外の世界に出るんで、その、つい…」

 申し訳無さそうに、しかし心底惜しそうに。おずおずと返却される地図を結局、ヴェンティセッテは少女に進呈する事にした。何度も礼を言う少女に、最後に故郷の村の名を聞いて。外の世界へと旅立つその背を見送ると、再びヴェンティセッテも歩き出す。

「ふむ、ポッケ村…と。ん、あの娘の名前を聞き忘れたな。ま、いっか」

 振り返ればもう、先程の自分と同じく。道無き道を、外の世界目指して…元気良く歩く背中はもう遠くへ小さく。恐らく好奇心に胸をときめかせ、冒険心に瞳を輝かせている事だろう。名も知らぬハンターの少女が今、未知の世界へと飛び出して行く。その頼り無い、しかし確固たる意思で迷わず進む少女を…気付けばヴェンティセッテは、見えなくなるまで見守っていた。まるで誰か、身近な人間にそう頼まれたような…何故かそんな気がしたから。