こうして、僕の旅は始まった。
 あのフネの行き先については、すぐに耳に入ってきた。
 <旧世紀>の空飛ぶフネの話は、行く先々のどこでも噂になっていたから。
 ずっと昔から、ここ、メッカニア連邦の言い伝えに出てくる空飛ぶフネ…「白き災厄(シェルクーフ)」。<旧世紀>の遺した戦艦で、一瞬にして大地を薙ぎ払う魔物の武器だという。
 …その言い伝えがあまり間違っていない事を、僕は良く知っている。
 「真っ白いフネの後から、帝国の空中艦隊が飛んでいったそうだよ。帝国があれを手に入れたら、今よりもずっとひどい事になるんだろうさ」
 国境付近は戦をやってるって話だ、砂潜り(ゴライアス)が多いから稼ぐにはいいけど、近付かないのが身のためだよ。
 攻性生物の爪と甲殻を売りに来た僕をハンターと思ったのか、(永久に続くかと思うような近所のうわさ話も含めて)その話をしてくれたジャンク屋の主人は、不安げに首をふりふり、そう言って話を締めくくった。
 「そうか、ありがとう」
 「いやいや。…しかし大したもんだね、その若さで」
 人のよさそうな主人は、代金を手渡しながらさらに話しかけてくる。
 「儂の店に「血統書つき」の獲物が持ち込まれたのは何年かぶりだよ」
 「…あ、いや、これは仲間から頼まれたんだ」
 慌てて手を振って言い訳する僕に、「なんだ」と苦笑する主人。
 「じゃ、落とさないようにしっかり持ってくんだぞ」

 

 「ふぅ…」
 どうにか誤魔化せたかな、と重いながら出てきた僕を、店の前に繋いであったラギがきゅうぅ、と鳴いて出迎えた。
 翼をばたばたさせながら、僕の肩に首をこすりつける。
 「わっ、こら、ラギ!」
 やめないか、と叱って見せるものの、放っておかれたのが淋しかったのか、ラギはお構い無しに僕の顔を舐める。こうなったら、打つ手なしだ。
 しかし、人の多い町中で、僕らはかなり注目の的である。
 町中に変種など連れて来て…。
 通る人々が、そんな目で僕らを見る。
 昨夜の宿屋でも、変種のクーリアがいては他の客が嫌がるから、と言われて門前払いをくわされた。
 それは、仕方がないかもしれない。彼らにとっては、ラギはただの変種のクーリアでしかないから。
 誰も、彼の本当の力になんか気付かない。
 それでも。
 今度から、ラギを町に連れてくるのはやめようと思った。
 僕の村ほどではないにしても、この町でも変種の仔はやはり印象が悪い。僕が目を離した隙に、誰かに酷い事をされたら…
 ラギの首を軽く叩いてやりながら、そんな事を考えつつ僕は鞍へと飛び乗った。

 

 夕暮れの町を出て、二つの月が光る夜空の下で。
 国境へと続く街道を走りながらも、僕はずっと考えていた。
 いつしか、考えはラギの事から、あのフネの事、そして、僕自身の事へと移っていた。
 何故、僕はあのフネを追っているんだろう?
 村のみんなの仇を討つため?いい思い出なんか、ほとんど残ってないあの村の?
 今でも、何故だったのかは判らない。
 …けれども。少なくとも、その時の僕の気持ちはそうだったような気がする。
 村のみんなは、決して悪い人たちじゃなかった。
 僕の育てたクーリアを褒めてくれた親方、妹が死んだ時、小さな亡骸を包んでくれた近所のおばさん、仲がいい、とは言えなかったけれど、長老が話す昔話に、一緒になって目を輝かせて聞き入ってた幼なじみのあいつら…
 そのみんなが、どうして…そう思ったから、あのフネを追っていたんだろう、僕は。

 夜明けの空気は、ひんやりとしている。
 東の空はうっすらと明るくなってきたけれど、峡谷の奥にまではまだ朝日が届いていない。
 店の主人が言った通り、鮮やかな紫色をした何匹かの砂潜りが、今はラギの鞍にくくりつけられている。
 朝もやにけむる断崖の間を、僕たちは国境へと向かっていた。
 メッカニアと帝国が戦をしている、というのはどうやら本当らしく、途中で、頭上を戦闘機が数機横切っていくのが見えた。
 このまま行くと、国境の要塞があったはずだ。
 帝国との戦でぴりぴりしているだろうそこに、ラギを連れて行くのはあまり得策じゃないかもしれない。
 横道を抜けて行こう、と、僕はラギを少し細くなったわき道へと進ませた。
 足場の悪い道に、かなり辟易しつつも、それでも僕たちは進んで行く。
 不意に、視界が開けた。
 目の前には、夜明けの光を受けて輝く雲海が広がっていた。
 同時に、道がなくなっている。ここからは、走って行くのは無理だ。
 「飛べるかい、ラギ?」
 僕の問いに、大丈夫、とでもいうように一声鳴いて、ラギが翼を広げた。
 大地を蹴ったラギの翼が力強く羽ばたき、夜明けの冷たい風に乗って、僕達は雲の上を滑るように飛ぶ。
 ずっと、夢見ていた翼。
 そして、その代わりに僕はそれまでの全てをなくした。
 そんな感傷を振り払うように頭を振った僕の耳に、ラギの声が飛び込んでくる。
 はっとして顔を上げた目の前に。
 連隊を組んだ帝国の戦闘機が、すぐそばにまで迫っていた。

 −−−戦闘空域に飛行型攻性生物侵入!
 −−−目障りだ、撃ち落とせ
 −−−了解!

 戦闘機の機銃が、突然火を噴いた。
 とっさに、僕はラギを急降下させる。
 振り向くと、その3機の戦闘機はくるり、と身を翻して更にこちらへと向かってきていた。
 「何だ、何なんだよっ!?」
 半ば悲鳴を上げるように叫びながらも、第2射をどうにかやりすごす。
 戦場に入り込んだ物は、何だろうと容赦しない、という事なんだろうか?
 何にしろ、このままでは撃ち落とされてしまう。
 前方に回り込んできた戦闘機に、狙いをつけ…僕は、引き金を引いた。
 同時に、ラギが光の矢を放つ。
 大きくバランスを崩した戦闘機が落下していくのを見送る間もなく、前方の右手から、今度は4機。
 ためらっている暇はなかった。
 次々と、不思議なくらい正確に、僕らは戦闘機を叩き落としていく。
 しばらくして。
 終わる事がないかと思えた戦闘機の群れが途切れ、僕はほっと一息ついた。
 できれば、闘いたくなかったから。
 けれども、それが甘かった事を、すぐに僕は思い知ることになる。
 視界の隅に、大きな影が見えた、そう思った瞬間。
 油断しきっていた僕のすぐ真横を、巨大な砲弾が唸りを上げて通り過ぎた。

 −−−こちら戦艦タパス、戦闘領域内に未確認種の攻性生物侵入!なお、対象は飛行型、雷撃兵器とおぼしきものを装備している。現在帝国、メッカニア両空挺部隊の半数を撃破し、東へと飛行中…大型迎撃戦艦ナラカの出動を(通信中断)
 −−−戦艦タパスより高速戦闘艇カルラ、現在本艦はメッカニア空挺部隊および未確認種と交戦中、至急援護求む。

 大型戦艦から吐き出された攻城砲の巨大な鉄球を避けきれず、大きくよろめいたラギが、苦しげな叫びを上げた。
 続けざまにこちらへと飛んでくる鉄球を必死に撃ち落とす僕も、直撃こそしなかったものの、機銃のかすめていった左肩が徐々に痺れてきている。
 このまま、僕たちは帝国軍に殺されるのか?
 そう考え、僕は自分の想像にぞっとした。殺される…僕たちの旅が、ここで終わるという事に。あのフネの手掛かりすら掴めず、国境の谷底に朽ち果てるという事に。
 …そんなの、いやだ。
 僕たちは、ここで立ち止まる訳にはいかないんだ。
 何故、とか、そういう疑問なんか、どうでもよかった。
 死にたくない、ただ、そう思った。
 2度目の鉄球の群れが、そんな僕たちを笑うかのように飛んでくる。
 撃ち落とそうと上げた銃は、間に合わなかった。
 ひどくゆっくりと飛んでくるように見える巨大な砲弾。あれが直撃したら、僕なんか欠片も残さずバラバラになってしまうだろう。
 「…ちくしょう…」
 呟いて、僕は自分が泣いてる、と思った。
 怖くはなかった。ただ、悔しかった。
 目の前に、真っ黒い鉄の塊が迫ってきた、そう思った瞬間。
 視界が、ぐるりと回転した。同時に聞こえてくる、ラギの悲鳴。
 僕を庇って、ラギは戦艦に腹を向けたのだ。
 失速しかけながらも、ラギは僕を落とすまいと必死に飛び続ける。
 「馬鹿っ…!駄目だ、ラギ!僕なんか構うな!」
 いっそ僕を振り落として、逃げてくれ!
 僕の声にも構わず砲弾を受けきったラギの、攻性生物とはいえ野生種に比べればはるかに薄い甲殻も、鱗も、傷だらけになっている。
 ……大丈夫。まだ、飛べるから。
 傷だらけになりながらも、僕を見つめるラギの黒い瞳が、そう言っているように見えて。
 「うおぉぉぉッ!」
 肩の痺れも、何もかも忘れて。獣のように叫んだ僕は銃を構えていた。
 許さない。僕の、たった一人の親友を傷付けたお前たちを、僕は許さない!
 たぶん、僕は僕自身も許せなかったんだろう。
 僕がもっと気をつけていれば、こんな不意打ちは喰らわなかったはずだし、ラギがこんなに傷付く事もなかったのだから。
 ろくに狙いもせずに銃を乱射していた僕の頬を、機銃がかすめていった。
 黒い煙を噴きだし始めながらも、戦艦の攻撃は緩まない。
 艦の下の方から、戦闘機が連隊を組んで飛びだしてきた。
 もう、駄目かもしれない。
 頭の片隅でそう思いながらも、僕は撃ち続ける。
 引き金を引く指の感覚なんか、とっくになくなっていたけれど。
 「こんな所で…こんなっ、ところでッ…!」
 きゅいぃぃぃぃぃっ!
 歯を食いしばり、ほとんど気力だけで銃を握っていた僕の耳を、ラギの鋭い声が突き抜けた。
 瞬間。
 僕の目の前で、光が弾けた。
 砲弾も、機銃の弾丸も、全てを吹き散らして、無数の、それこそ流れる星たちのように光の矢が雨あられと戦艦に降り注ぐ。
 その反動で大きく揺れるラギの背で、僕は彼の首筋に必死でしがみつく事しかできなかった。
 光の乱舞で、周囲は何も見えない。
 やがて、ようやく僕の視界から光が消えた頃。
 そこには、朝日に照らされた雲海が、静かに広がっているだけだった。
 さっきまでの闘いが嘘のように静まり返ってしまった雲海に、切れ目が見える。
 「……下りよう、ラギ」
 僕の言葉に、何事もなかったかのように一声答えると、少しずつ高度を下げていくラギ。
 見る見る内に迫ってくる地面は、ひどく懐かしかった。
 あの空の上で起きた事が何だったのか、全く訳がわからないまま。
 地面に降り立つと同時に僕は荷物の中から傷薬を引っ張り出すと、上着の襟をまくって肩口に少しつけ、上から湿布を貼る。
 ラギの傷にも薬をつけてやり、ひとまず岩陰で少し休もう、そう思いながら走り出した前方で、鳥たちが騒ぐ声が聞こえた。
 胸騒ぎがした。嫌な予感に、首筋がひりひりする。
 案の定、と言うべきか。
 崖の向こうから姿を現したのは、帝国の空中艇だった。
 側面に描かれた模様は輸送艇のもので、きちんとした戦艦ではないらしい。
 それでも。
 それに積まれた4基の砲台が、ゆっくりと展開するのを見ながら。
 僕は、ラギの背で銃を構えていた。

 

 長いような、短いような闘いは、僕たちの勝利で幕を閉じた。
 僕もラギも、ブリッジは撃ってないから、よっぽどの事でもなければ乗員は怪我する程度で済むだろう。
 我ながらズルいなとは思うのだけど。いくら何でも、目の前で人が死ぬのは嫌だな、と思いながら、煙を噴き上げながら失速する輸送艇を振り返った僕の身体が、不意に宙に浮かぶ。
 ラギの背から、さらに上空に浮かんでいる僕の足元で。
 地面を蹴り、大きく羽ばたいたラギの全身が、淡い緑色に輝いていた。
 一旦空中で身を捻ったラギの、その身を覆う甲殻が不意に鞍もろとも弾け飛んで、僕は慌てて一緒に飛んでいきかけた荷物を引き寄せる。
 再び僕を背に乗せたラギが羽ばたいた時。
 そこには、すでに傷ひとつない新しい真っ白な甲殻と、一回り大きくなった翼を羽ばたかせる、青いドラゴンが飛んでいた。

 渓谷の外れで、僕たちはささやかなキャンプを張った。
 町で手に入れたお茶をすすり、干し肉をちびちびと噛りながら、僕は傍らで寝息をたてているラギを見やる。
 あの時、一瞬で脱皮を終えてしまったラギは、多少以前の面影を残してはいるけれど、どこから見ても立派なドラゴンだ。
 『こうなると、ますます町には連れて行けないな…』
 道端に建てられていた里程標に刻まれていた古い文章を、ふと思い出す。
 ……そは、白き翼こそ終焉の神なればこそ。
 僕の村では、ドラゴンは神様のお使いという話になっていたけれど、この辺りの伝承では、ドラゴンは神々の争いの中に現れ、敵も味方も全てを終わりへと導く終末の使者という事になってるらしい。
 どっちが、正しいんだろう?