国境地帯を抜け、乾いた大地が草原に変わり始めた頃。
 はるか前方、黒く盛り上がる森へと続く河のほとりで、僕たちは足を止めた。
 「ちょっとだけ、休もうか」
 鞍のなくなってしまったラギの背(甲殻のくぼみが鞍代わりになってるので、そんなに不自由はなかった)から飛び降り、僕は河の流れで砂埃にまみれた顔と頭を洗う。
 荒れ地の中の村では、こんなに水を使えるなんて事はなかった。
 この辺はオアシスが多いから、信じられないほど水が豊富だという話は聞いた事があったけど。
 大きな河のやや上流、僕らのいる岸の向こう側。
 河沿いに、キャラバンがテントを張っているのが見える。
 ここ数ヵ月あたりは、この辺で小さな攻性生物を獲ったりして暮らすらしい。
 『ぼうや、旅をしてるのかい?悪い事は言わないから、あの森は近付かないほうがいいいよ』
 砂潜りを売り払おうと立ち寄った、そのキャラバンの雑貨屋で。店番をしていたおかみさんは眉を潜めて僕に囁いた。
 森の奥でまだ動いているらしい遺跡の中に眠る技術や、強力な武器を求めて、何人もの探索者(シーカー)たちが森に入っていったけど、帰って来たのは一握りだという。
 『このくらい離れていれば安全だけど、あの奥には、<旧世紀>の魔物が棲んでるんだ。ドラゴンのご加護でもない限り、近付いただけで攻性生物に喰われちまうよ』
 その話を聞いた時には、ラギと一緒ならば大丈夫だろうと思っていたけれど、改めて近くで見てみると、鬱蒼とした森の姿は確かに誰も入る事を許さないかのような雰囲気を持っている。
 きっと、この中は攻性生物たちの縄張りになってるはずだ。中を通るよりは、上を飛んだほうが危険は少ないだろう。

 まだ完全には乾いてない髪に、冷たい風が気持ちいい。
 晴れた空から見下ろす森の中で時々長翔び蟲(ナーガ)がその長い体をくねらせて飛んでいるのが見えるけれども、連中にはここまで飛んで来られる力はないし、まず危険は無いはずだ。
 時々見える白い殻の攻性生物たちも、こんな上空を飛んでいる僕らには気付かないらしい。
 最近、たびたび空を飛んでいたおかげでラギの飛び方も以前に比べて安定してきているし、この調子なら、すぐに森を越えられるかもしれない。
 腰に下げた水袋から水を一口飲んで、一息つく間もなく。
 上空を横切る黒い影に、振り返った僕の真上で。
 帝国軍の空中艦隊が、不気味なエンジンのうなりを響かせながら飛んでいた。
 数機の戦闘艇が、こちらへと向かってくる気配を感じて、とっさに僕たちは身を隠すべく森へと飛び込む。
 ちらりと振り返った僕の視界の隅に、急降下してくる戦闘艇が見えた。
 大型戦艦が2機、中型艦に、周辺を飛ぶ戦闘艇…規模としては、そんなに大きくないみたいだ。この森の遺跡を発掘しに来た調査隊だろうか?
 それとも…連中は、ラギを狙っているのか?
 <旧世紀>のもの、全てを手に入れようとする帝国が、あのフネを追っているのは確実だ。だとしたら、誰かが見ていたのかもしれない。
 ラギが…伝説のドラゴンが、光の矢を放つ姿を。
 だとすると、ただでさえ得体のしれない<旧世紀>の力を相手にしているというのに、僕はさらに帝国をも敵に回してしまう事になる。
 できるか?僕に。
 帝国からラギを護りながら、あのフネを追うことが。
 目の前に広がる、この森を抜ける事が。
 結局、僕のその考えに答が出る事はなかった。
 僕らの左手から、戦闘艇が木々をへし折りながら姿を現したからだ。
 考えるよりも早く、僕の手は引き金を引いていた。
 わずかに体勢を崩し、それでも戦闘艇は連隊を乱すことなく僕らに平行して飛んでいる。
 国境で相手した戦闘機より、ずっと装甲が厚い。
 僕の銃だけじゃ、駄目だ。
 「ラギ!」
 僕の声に、ラギが返事代わりの光の矢を放つ。大きくよろめいた戦闘艇が薄く煙を吐きながらふらふらと後ろに下がっていき…
 数秒後、後ろで鈍い爆音が響いた。
 「凄い…」
 振り返りながら、思わず僕は呟く。
 脱皮して成長したせいだろうか。光の矢の威力が上がってる。
 この調子でなら、森を抜けられるかもしれない。
 僕と、ラギと、二人でなら。

 −−−戦闘艇ケンダッパより戦艦ナラカ、先のメッカニア国境付近で目撃された未確認種とおぼしき攻性生物と接触。未確認種は背に乗り手とおぼしき人間ないしは亞人種攻性生物を騎乗させており、森の最深部に位置する遺跡を目指している模様…引き続き捕獲作戦を続行
 −−−こちら戦艦ナラカ、現在本艦は攻性生物の群れ及び<旧世紀>戦艦と交戦中。全戦闘艇は至急未確認種捕獲作戦を中止、本隊の援護にまわれ
 −−−了解

 帝国の戦闘艇をどうにか振り切って森の奥に進むにつれ、今度は紅い翼を羽ばたかせて空を飛ぶ攻性生物が僕らの目の前を塞ぎにかかる。
 強固な、それでもさっきの戦闘艇に比べればずっと薄い甲殻の色は、あのフネと同じ純白。
 奥に進めば進むだけ数を増やしてくるこいつらも、たぶん「血統書つき」なんだろう。
 攻性生物の本当の姿、脅かせば逃げていく野生のやつらとは違う、どんなに危険な目にあっても構わず闘いを挑んでくる<旧世紀>の番人たち。
 たとえ、相手が最強と名高いドラゴンであっても。
 あらかた片付いた頃あたりで、僕はラギを着地させた。
 枝が多くなりすぎて、飛ぶのは少し難しくなってきたから。
 遠くの木の間を飛ぶナーガの姿がちらりと見えたけれど、あの距離なら、こっちには気付かないだろう。
 下草を踏み付けるラギの足音に混じって、上空を飛ぶ攻性生物の羽音がかすかに聞こえてくる。
 時々、思い出したかのように体当たりをしかけてくるそいつらを撃ち落としていた僕の頭上で、大きな音がした。
 何か大きな物が、その重みで枝を折る音。
 何だろう、そう思いながら見上げた先で。
 真っ黒い戦艦が、僕らのすぐ真上に下りてこようとしていた。
 「黒い悪夢(クオパ)か…!」
 白いフネ、シェルクーフの話を聞いた時に、こいつの話も聞かされた。
 シェルクーフと必ず対になって現れる、強襲艦クオパ。
 そう簡単には、墜とせないはずだ。
 僕が銃を向けたのに気付いているのかいないのか、僕らの頭上すれすれを強襲艦はゆっくりと飛ぶ。その船体から、蜘蛛に似た小さな機械をぼろぼろと落としながら。
 不規則に跳びはねながら切れ切れに雷撃を撃ってくるそいつらをラギが光の矢で撃ち落とし、僕はありったけの弾丸を強襲艦へと叩き込む。
 「前に回り込むぞ!」
 ラギに声をかけ、軽くその首筋を叩く。
 今はほとんどドラゴンとはいえ、さすがにクーリアだ。その強靱な後脚で地面を蹴ったラギが、あっという間に加速して強襲艦の前に回り込んだ。
 振り向きざまに、僕とラギはそれぞれの武器を乱射する。
 失速した強襲艦が木にひっかかって止まるのを確認したのも束の間、前方にもう一機が降りて来る。
 「しつこい!」
 舌打ちした僕が銃を構えるよりも早く。
 走りながら、ラギがその首をぐっ、と持ち上げて口を大きく開いた。
 瞬間。
 いつか国境で見たのと同じ、光の乱舞が薄暗い森の中を明るく染め替える。運悪く僕らの視界を横切った攻性生物が、巻き込まれてばらばらに吹き飛んだ。
 もしかしたら。
 反動で振り回されながらも、僕は一つの仮説と、その結論に辿り着く。
 昔話には、ドラゴンの「光の矢」とは別に、「流星の矢」というのが出て来ることがあった。ドラゴンは闘いながらその力を溜め、幾本もの流星と化して全ての敵を打ち砕く、というものだったはずだ。
 ラギも、闘いながら力を溜めておいて、それを一気に開放する事ができるのかもしれない。
 だとしたら、ドラゴンに敵がいなかった理由も判るような気がする。
 ただでさえ強力なこの光を、まとめて喰らったら、どんな攻性生物だって、ひとたまりもないだろう。
 光が収まった頃。
 僕は姿勢を立て直すと、再び銃を構えて狙いをつけた。
 さすがに帝国の戦艦のように墜とすことはできなかったけれど、強襲艦は薄く煙を吐きながら、ふらふらと木々の間を飛んでいる。
 これで、とどめだ。
 引き金を引くと同時に、銃弾がその黒い船体に吸い込まれ…連鎖的に爆発を引き起こした。
 枝を折りながら煙を噴く強襲艦を背に、僕は一息ついて額の汗を拭うと、少しラギのペースを落とさせた。
 すでに夕焼けに変わった空の下、さっきまで飛んでいた攻性生物たちも、すっかり姿を消している。
 もしかしたら、連中の縄張りを抜けたのかもしれない。
 「もう大丈夫かな…」
 呟いたら、途端に気が抜けた。
 何しろ、今日は一日中帝国艦隊、そして攻性生物と闘っていたのだ。
 これで疲れないほうがどうかしている。
 どっと襲ってきた疲れに思わずラギの背に突っ伏した僕は、走り続けるその足音と縦揺れに合わせて、いつしか寝てしまったらしい。
 気が付いたのは明け方近く、頭上で濁った爆音が響いた頃だった。
 きゅぅぅっ、くぅぉぁぁぁっ!
 僕を乗せたまま、木の陰で休んでいたらしいラギが僕を振り落としかねない勢いで立ち上がり、翼を大きくはばたかせて警告の叫びを上げる。
 見上げれば、そこにはあの白いフネが悠然と空に浮かんでいた。

 

 森の中の僕らに気付いているのかいないのか、フネはゆっくりと、東へ飛んでゆく。
 その後を追うように飛ぶ帝国の空中戦艦の群れの中。
 その中の一つが、不意に失速した。
 「何だ……!?」
 遠すぎて良く見えない…けれど。
 小さな影が、沈む戦艦の周囲を舞っていた。あのフネから出てきた攻性生物なのは確実だ。
 そして、帝国軍の周りを群れ飛ぶ攻性生物より、ずっと大きなその船体を宙に浮かべる強襲艦。
 高度を下げたそれが、僕らの方へと向かってきているのに気付いて。
 「ラギ!」
 叫んだ僕の声に答えて、ラギが地面を蹴った。
 風を巻き起こし、木々の間を駆け抜けながら、その翼を広げる。
 少し後、僕らが通り過ぎた背後から、木の薙ぎ倒される音が響いて来た。
 振り返れば、その船体の下に巨大な「何か」をぶらさげた強襲艦が、ゆっくりと追って来ている。
 不意に加速した強襲艦が、僕らの前に回り込んだ。
 へし折られた枝や幹が飛んでくるのを必死に避ける僕らの目の前でその「何か」を切り離すと、強襲艦はそのまま何もなかったかのように空へと戻っていく。

 しゃぁぁぁぁぁッ!!

 巨大な前脚と爪を持った、その「何か」が、吼えた。
 真っ白い甲殻の下で、真っ赤な瞳がぎらり、と光って僕らを見据える。
 「こいつ…まさか、手長蟲(ハヌマン)…!」
 昔父さんに聞いた事がある、村の長老にも。神話に出てくる滅びの使いのひとつ、そして森を狩り場にするハンターにとって最大最強の獲物、<旧世紀>の遺跡がある深い森には必ず棲む攻性生物。
 その爪は近付く敵の全てを引き裂き、離れていては毒を持った泡を吐き、それを飛ばしてくる。万全の装備に身を固め、綿密な作戦を立てた熟練のハンターが10人でかかっても、仕留められる確立は4割弱だという。
 だからって、逃げる訳にはいかない。
 逃げたって、こいつらは決して許してはくれないんだから。

 ぎぃぃぃぃぃぅきゃぉぉぁぁぁぁッ!

 ひずんだ吼え声を上げながら、ハヌマンは大きく跳んだ。そのまま僕らの頭上を飛び越えて、背後へと廻る。
 振り向いた僕の目の前、ラギの尾をかすめるように鉤爪が振り降ろされた。その白い甲殻の表面で、僕の撃った銃弾が弾ける。直後、ラギの光の矢が、立て続けに突き刺さった。
 悔しげな叫びを上げながら、わずかによろめくハヌマン。
 油断なくその動きを追いながら、僕はヤツの目を狙う。
 瞬間、再びハヌマンは跳んだ。
 一飛びで僕らに並ぶと、木々の間を縫って走りながら、その目と同じ紅い色の泡を吐きだしてくる。
 銃でそれらを弾くのが精一杯の僕に代わって、ラギが幾本か光の矢を飛ばしたが、あまり効いてない。
 また、ハヌマンが跳ぶ。今度は反対側、僕らの右。
 立て続けに吐きだされる毒の泡が邪魔をして、狙いがつけられない。
 「ラギ!」
 僕の意図が判ったらしく、ラギが流星の矢を放とうと口を開いた。
 あれなら、この泡なんかものともしないはずだ。
 直後、強烈な光と、ハヌマンの悲鳴が空気を引き裂いた。
 思った通り、群れをなす真っ白い光の筋が、毒の泡を一瞬で蒸発させながらハヌマンを襲う。
 けれども。
 力の溜め方が不十分だったのか、先程強襲艦を撃ち落とした時よりもずっと短い時間で、光の乱舞は消えてしまった。
 その甲殻のあちこちを焦げ付かせながらも、ハヌマンは僕らの行く手を遮るように立ちふさがると、瞳をぎらつかせて鉤爪を振るう。
 右へ、左へとその攻撃を躱しながら。
 僕の撃った銃弾は、今度こそハヌマンの片目を撃ち抜いた。
 苦痛に身をよじるハヌマンは、それでも攻撃をやめる事はない。
 僕らに完全に背を向け、木の枝から枝へと鉤爪を使って渡り歩きながら、その尾の先から円錐状のものを落としていく。
 地面に墜ちると同時に広がって発火し、勢いよく燃え上がるそれを打ち壊す僕と、前方を行くハヌマンの背中めがけて、光の矢を叩き付けるラギ。
 僕らは、確実にヤツを追い詰めていく。

 

 ぎぃぃぃぃぃッ!!

 やがて、一際大きな叫びを上げて、ハヌマンが地面に落ちた。しばし空を掻きむしるように暴れ…完全に、その動きを止める。
 「やったか……?」
 警戒しながらも崩れ落ちたその傍らを通り過ぎる僕の身体が、宙に浮いた。前の時と同じ、蒼い光が視界を包む。
 ラギが大きく身を捻り、古い甲殻を弾き飛ばす。
 そして。
 2度目の脱皮を終え、明らかに厚くなった甲殻を白く輝かせる褐色のドラゴンは迷う事なく、木々の奥へと見える遺跡へと飛んだ。