「ちょっ…どうしたんだよ、ラギ!?」
 僕の叫びなどお構い無しに、遺跡へ飛び込んでいくラギ。白く伸びる通路に着地し、勢いはそのままに走り続ける。
 「止まれよ、止まれってば!」
 首にしがみつく僕を振り返るように顔をこちらに向け、
 いいから、そのまま乗ってて。
 そう言いたげに、首を振りながら短く鳴く。
 わざわざこんな所を通らなくても…そう思って振り向いた僕の視界に飛び込んできたのは、ハヌマンの死骸めがけて我先にと群がる、攻性生物の群れだった。
 やや奥に入った所で立ち止まったラギの背中の上で。
 呆然としたままの僕は、ハヌマンの巨体がたちまち食い散らかされてしまうのを見ていた。
 これが判っていたから、ラギは僕を奴らの目から隠そうとここに飛び込んだのだ。
 元々クーリアは頭のいい生き物だけど、こんな判断は、簡単にできる事じゃない。
 やっぱり、ドラゴンだから…なのか?
 改めて、僕はラギを見下ろす。
 くすんだ褐色に変化した鱗と、鮮やかな紅い翼。頭から首にかけてを覆う、なめらかな白い甲殻は鎧のように背中、そして尾へと続いている。
 「血統書つき」の証明。
 <旧世紀>の生き物…フネを護る、あの蒼いドラゴンと同じものなのに。
 ラギは、僕があのフネを追うのに力を貸してくれている。
 何か、理由があるんだろうか。
 僕がラギを育てたからだけではない、ずっと昔から決まっているような理由が。

 どこまでも続いているように見えた通路は、突然に途切れた。その代わりに、底の見えないほど深い水路が奥へと伸びている。
 森に流れ込んでいた河が、ここを通っているのかもしれない。
 だとすれば、ここを通っていけば森の外に出られるはずだ。
 入り口あたりを見た限り、そんなに大きな遺跡には見えなかったから。
 「よし、行くぞ!」
 僕の声に答えて、通路の縁を蹴ったラギが、翼を広げる。
 が、僕の声に答えたのは、彼だけではなかった。
 水面に小さな飛沫が上がると、奇妙な形をした機械が3つ、立て続けに跳び上がってくる。
 少しの間の後、空中でかぱり、と開いたそいつらが撃ち出してきた雷撃を急上昇して避けながら、ラギが口を開くと光の矢を叩き付けた。
 侵入者が来たら、撃ち落とす仕掛けなのだろう。再び水中に沈んでいくそいつらのさらに下に、帝国戦闘機の残骸がちらり、と見えた。
 たぶん、こいつらはこの遺跡のガーディアンだ。
 油断は禁物、という事だな。
 呟いて、僕は銃をしっかりと持ち直すと水面に狙いをつける。
 続けて水面がざわめいた時には、すでに準備はできていた。
 跳び上がってくる第2陣が開くよりも早く、今度は僕が狙い澄ました一撃をお見舞いする。
 案の定、ガーディアンは何の攻撃もできないで沈んでいく。やっぱり、決め手になるのはこいつらが雷撃を撃つために展開する前だ。
 前方で動いている隔壁を、ラギは一気にすりぬけた。
 これも、侵入者を防ぐためのものだろう。
 2度、3度と水面が泡立つたびに跳び上がってくるガーディアンを撃ち落としながら、轟々と音を立てて流れる水面に羽根を広げた大きな影を落としながら、ラギはまるで道を知ってでもいるかのように複雑に絡み合う水路を飛んでいく。
 また、水面がざわめいた。
 銃を構えた瞬間、突然、真横の通路から飛びだしてきたガーディアンに視界を横切られ、僕は一瞬目標を見失った。
 その隙に、ガーディアンは完全に展開する。
 顔の横をかすめた雷撃が、空気に焦げた匂いを残して消えた。
 悲鳴を上げ、ラギがわずかによろめいてバランスを崩す。
 「ラギっ!」
 声よりも先に、流星が走った。
 …大丈夫。
 一瞬だけこっちを振り返って、大きく羽ばたくと、ばらばらになったガーディアンの破片が降り注ぐ中を加速するラギ。
 すでにラギは、僕の言いたい事は完全に把握しているらしい。
 僕にも、ラギの言いたい事が何となくだけど解る。
 そして解るのは、ラギの言いたい事だけじゃない。
 行き止まりを真下に急降下し、降りた先、大きなカーブを描く通路を曲がった瞬間。
 背後で、何かが蠢くのが解った。
 ほとんど同時に上がった警戒の声に応えて振り向くと、反射的に僕は銃を連射。
 どこかからか、僕らに向かって発射されたミサイルの群れが、次々に撃ち落とされて爆発した。撃ちきれなかったミサイルが、ぎりぎりをかすめていく。
 「助かったよ、ラギ」
 冷や汗を拭い、僕はラギの首筋を軽く叩く。
 「お前が見せてくれなかったら、気が付かなかったよ」
 ここ最近、気が付いた。
 ラギの視えるものが、時々僕にも視えるのだ。
 何故だかは、判らない。ただ、時々そういう物が視える。
 おかげで、何度も命拾いしている。
 …これも、ドラゴンの力なんだろうか。

 ガーディアンだけでなく、遺跡に棲みついている攻性生物も撃退しながら、何度目の分岐点を通過したのか、いいかげん判らなくなってきた頃。
 一段と狭くなった水路を抜けた先に、再び通路が伸びていた。
 そして、そこに広がる広大な地底湖。
 「うわぁ……」
 村が丸々一つ沈んでしまいそうな広さと深さに、思わず僕は間の抜けた声を上げる。
 けれども、たぶんここの水だけで、村の周辺数千リオン、いや、それどころか辺境全体が荒地から草原になれる。ここを見た人間だったら、みんな僕と同じ感想しか持てないんじゃないだろうか。
 もしここの水を引くことができたら、いつ涸れるかも判らない井戸だけが頼り、なんて生活をしなくて済むだろうな、そう思いながら。
 周囲を見回す僕を乗せて石畳を蹴り付けるラギの足音だけが、やけに大きく響く。
 どこまでも続いているような真っ白い通路。
 このまま、僕らはどこまで行くんだろう。
 あのフネを追いかけて、一体どこまで旅を続けるんだろう。
 そして、この旅が終わったら、何処に行けばいいんだろう……
 僕のとりとめもない考えは、ラギがいきなり立ち止まった事で断ち切られた。
 「どうした?」
 覗き込む僕を見上げ、ばたり、とラギが尻尾を大きく振って喉を鳴らす。
 瞬間、背筋がざわり、と泡立った。
 ……何か、いる。
 深い水の下、何かが、確かにこっちを窺っている。
 僕らを、狙っているのだ。
 大きなものの気配が、段々と近付いてくる。通路の下……いや、右。
 …違う、左!これは通路じゃない、橋だ!
 「くそっ…」
 銃を持つ手が震えている。緊張のせいか、唾を飲み込む音が、妙にはっきりと聞こえる。
 ゆっくりと浮かんできた大きな影が、ちらりと足元を横切った。僕の不安を嘲笑うかのように。
 ぴちゃ……
 小さく、水音がした。
 一瞬の静寂。
 そして。
 暗い色の水面を割って、巨大な影が飛びだした。通路の上を飛び越え、反対側へと消えるその姿は、長い尾を持つ、巨大な甲殻魚。
 ……鎧魚(ランドドーラ)。
 知っている訳でもないのに、その名前がふと浮かんだ。
 何でなのか、なんて考えている余裕はなかった。
 僕らの周囲を、その巨体に似合わず素早い動きで泳ぎ渡る「魚」を何とかして捉えようと、僕はラギの背の上で何度も振り返ってはまた前を向く。傍から見たら、かなり滑稽だったかもしれない。
 どのくらい、それが続いたんだろうか。
 再び水面から躍り上がった「魚」は、威嚇するように尾を一振りすると、不意に水中深く潜った。
 みしり。
 どこかで嫌な音が聞こえた、そう思った瞬間。
 嫌な予感に背を押されるように走り出した僕たちの背後で、石畳が立て続けにめくれ上がる。
 巨大な石を軽々と弾き飛ばして、「魚」は時には潜り、時には跳び上がるようにしながら僕らを追ってきた。
 が、水面から姿をさらした事で、僕らも「魚」に対する攻撃ができるようになった。水草や苔の付着した甲殻に光の矢と弾丸が弾け、そのたびに「魚」は身をよじらせて獲物に追い付けない悔しさに叫びを上げる。
 そんな事が、しばらく続いた頃。
 不意に水中に身を隠した「魚」が、猛然と加速した。
 僕らの足元で、石畳が大きく波打つ。
 足元をすくわれかけたラギが、それでも翼を広げて宙に舞い上がるのを阻むように、前方の通路を吹き飛ばした「魚」が大きく跳躍したのと。
 ラギが、流星の矢を解き放ったのは、ほとんど同時だった。

 水中に沈んでいく「魚」を振り返りながら。
 「さすがに、アレの甲殻は取れなかったな」
 僕は銃を腰に戻すと荷物を背負い直し、おそらく起こるであろう変化を待つ。
 やがて。
 緑色の光と共に、白い甲殻が弾け飛んだ。
 ひとつの闘いが終わるごとに、確実にその姿を変え、そして強くなっていくラギ。
 あの日から、だんだんクーリアからかけ離れた姿になっていく彼の、それでもその心だけは、僕の友達のままだと信じたい。
 …が。
 古い甲殻を脱ぎ捨てたラギの姿は、僕のそんな考えが一瞬揺らぐほどに異様なものだった。
 それまでは無かった、前方に向けて真っ直ぐに伸びた角。頭から首周りを覆う青白い甲殻と、艶のある真っ青な鱗。
 そして、深い青から薄い紅へと、緩やかに色調を変える大きな翼。
 そこにいるのは、地を駆けるクーリアなんかじゃない、空の鱗と翼を持つ生き物…ドラゴンそのものだった。

 裏側が崩れていた遺跡の天井を通って、僕らはそこから抜け出した。
 どのくらい、あの遺跡の中にいたんだろうか。
 すでに、空は夕焼けの時間を過ぎ、薄い闇に包まれている。
 このくらいの時間なら、街道の上をラギが飛んでいたって、たぶん人目につかないだろう。
 以前より一回り以上大きくなった翼が、力強く羽ばたく。
 そのせいだろうか、何だか飛ぶ速度が早くなったようだ。
 そんな事を考えながら、ぼうっと流れる景色を眺めていた時。
 耳元で鳴っている風の音に混じって、叫び声のようなものが聞こえたような気がして、僕は街道を見下ろす。
 まだ森に近いこのあたりを縄張りにでもしているんだろうか、連隊蛾(トゥプ)の群れが飛んでいる。
 そして、うっかり縄張りに踏み込んでしまったらしいキャラバンの人々。
 雇われハンターらしい数人が、必死に銃を撃って応戦しているが、夕暮れ時の薄暗い中で群れのリーダーを見つけられないらしく苦戦している。
 通りがかったからには、放っておく訳にはいかない。
 「行くぞ、ラギ!」
 言い終わるよりも早く。
 羽ばたいたラギがトゥプの群れを突っ切ったかと思った瞬間、その光の矢が、群れをばらばらにしていた。

 「うわぁ……」
 背後を振り返りながら、僕は思わず声を上げる。
 僕が銃を構える間もない、一瞬の出来事だった。
 光の矢の本数も、威力も、そして速さも、これまでのラギとは比べ物にならない。
 川沿いの、あまり人目につかなさそうな窪地を今夜の寝る場所に決め、僕はラギを着地させると、改めてその姿を見上げる。
 神様のお使いと呼ばれるのも判るような、まるで、天空を駆ける矢のような姿。
 何だかラギが、僕の手の届かない所に行ってしまったような気がして、どことなく淋しい気分で僕は河へと魚を捕りに行ったのだが。
 戻って来ると、ラギはいつもの人懐っこい目で、構ってくれと言わんばかりに鳴きながら、焚き火を起こす僕の方に顔を摺り寄せてくる。
 やっぱり、彼は僕の知っているラギだ。
 それが、少しだけ嬉しかった。