少年は闇を彷徨う。振り向く事無く全力で走りながら、重い罪を背負って。抗うには残酷過ぎる、償うには過酷過ぎるその罪…無知で無邪気で、ただ愛情に飢えた事が彼の十字架。だから罰を受けるのだ、と。罰として今、楽園から追放されたのだと言い聞かせて。追い縋る憎悪と侮蔑を振り払いながら、微かな光へ少年は走った。駈け寄る程に遠ざかる、その僅かな明かりへ手を伸べ…彼は現実の世界へ覚醒を果たす。

「ママ、目が覚めたみたい!早く来…あっ、起きちゃ駄目だったら」

 気付けば少年は、見知らぬ天井へと手をかざしていた。焦点の定まらぬ視界に、暖かなランプの薄明かりが揺れる。鈍く燻る意識で、しかしハッキリと悪夢を反芻しながら…彼はその手を掲げたまま上体を起こした。たちまち激痛が全身を駆け巡り、傍らから伸びた手が寝台へとその身を押し戻す。小さな柔らかい少女の細腕を掴み返して、彼はゆっくりその主へ首を巡らせた。

「はいはい、今行きますか…?あら悪いですわ、お客様にそんな…」
「ママ、早くー!いいから寝てて、熱は…ん、まだちょっと有るかな?」

 遠くで大人の声がする。母親らしきその声を呼んだ少女は、自らの手首から少年の手を解くと、額を重ねて瞳を閉じる。互いの体温が行き交い、吐息が少年の肌をくすぐった。状況が掴めぬまま、混乱する思考が取り留めのない単語を紡がせ、故郷の言葉が断片的に唇から零れる。少女はその言語を理解出来ないらしく、身を離すと首を傾げた。

「うーん、困ったな。ホント見ない顔だし、やっぱ外の人…あ、コラコラッ」

 困り顔でしかし、いたわりの表情を浮かべて少女は腕を組む。一言二言と断片的に声を上げながら、少年はあたりを見回した。身を横たえるのは、急ごしらえの寝台。すぐ側では赤々と燃える暖炉。そして傍らに見知らぬ少女。彼女ばかりではない、何もかもが見知らぬ世界。そして思うように動かぬ我が身。動けば痛みに頬が歪むが、苛立ちに身を任せて少年は起き上がった。

「もぉ、駄目だって言って…やだもう、バカァ!」

 呻きながらも、故郷の隠語で自分を叱咤して。二重に身を温めていた毛布を剥ぎ取り、少年は立ち上がる。と、同時にふらつき、少女の華奢な肩へもたれかかった。簡素な部屋着の奥から伝わる、柔らかな温もり…それが敏感に感じられるほどに、自分の身は冷たい。僅かな安堵感はしかし、突き飛ばされて不安に変る。真っ赤になった少女は、ノックと共に開いた扉へ飛び退いた。

「入るよ?これ、おばさんの服だけど…っとっとっと。どしたの?」
「お、おお、おっ、御姉様っ!み、みみ、みちゃ、みちゃ…見ちゃった」

接近遭遇

 部屋に新たな人影が入ってくると、少女はその背に隠れて顔を埋める。現れた人物は、地団太を踏む少女と、呆然と再度立ち上がる少年を見比べ…肩を竦めると何かを投げてよこした。自分に向けられたと思い、よろけながらも放られた物を掴む少年。それが衣服であると解り、見たままに呟くと…その言葉に眼前の人物は反応を示した。

「ん、それは確か…うーん、どこの言葉だっけ?まぁ取りあえず着なよ」

 気付けば、包帯まみれの少年は全裸だった。言われるままに袖を通しながら、やっと気付く…飛び交う言の葉の片方が、広く大陸で使われている公用語だという事を。どこをどう彷徨ったか、記憶は定かでは無いが。ここは少なくとも死後の世界では無く、現実のどこか。女物らしき衣服を着終えて、初めて少年は生を実感した。

「リーネ、キミのお母さんに言って、何か暖かい…スープか何かを貰えないだろうか」
「はい、御姉様!ふふ、おかしいの…ママの服、似合っちゃってる」

 恐る恐る顔を覗かせた少女は、まだほのかに赤い顔で笑みを吹き零した。そのまま弾かれたように元気良く、部屋を駆け出てゆく。その小さな背を見送り、ドアを静かに閉めると。仕切り直したように真面目な表情で、少年に相対してその人物は名乗った。リーネの次にこの地で知った、同じ世界からの異邦人の名を。フランツィスカ=フランチェスカ、と。