「まったく、若いモンは無茶しよるわい…だが、経過は順調のようじゃな」

 村唯一の医師である老人が、再び寝台へと舞い戻ったアズラエルへ毛布を被せてやる。その回復力の早さに、自分が失って久しい若さを感じながら。全身の打撲と裂傷、加えて軽い凍傷…だが、少年の治癒力はにわかに年寄りを驚かせる。もっとも、その生命力に強い知的探究心を持つ者など、この村には居なかったが。居るのはただ、怪我人の安否を優しく気遣う人々だけ。

「いやしかし、大事に到らなくて良かったさ〜」
「ああ、まったくだ!まぁ、子供はこれ位元気が良くていい!ガッハッハ!」
「ほんにのぉ、ほんにのぉ…きっとこの子も心細かったんだよぉ」

 リーネの家の一室に、安堵の声が満ちる。安らかなアズラエルの寝息に混じって。村人達は口々に無事を喜びながら、怪我人の病室を後にした。玄関前で待っていた村中の人々が、その者達から事の顛末を伝え聞き、やはり一様に安心した様子で顔を見合わせる。リーネの母を手伝いながら、その光景に熱くなる胸を、ジスカはそっと一人撫で下ろした。
 この村はやはり、純朴な優しさと温かさに満ち溢れている。そうでなければ、異邦人の少年を村中が本気で心配するなど有り得ない。それが不自然に感じるのは、自分が都会から来たから?ジスカは改めて、名も無きこの村を振り返った。ここはやはり、異常気象の中に隔離されただけの、何でもない辺境の地…そう思いかけてしかし、彼女は安易な結論を拒絶する。未だ謎がそこにあり、それを解く鍵となる人物が眼前に居たから。

「じゃあ、おばさん。アズラエル君をよろしく…ボクは薬草を摘んでくるとしよう」
「悪いわね、ポッケ。大事なお客様だもの、看病は私達に任せて頂戴」

 この村唯一のハンター、ポッケ。改めてその横顔を注視し、ジスカは宥められつつある自らの使命感を奮起させた。彼こそが…否、彼女こそが、この村の謎を解く鍵。西シュレイド王国が誇る王立図書院で、前人未到の秘境と言われてきた禁忌の山の、その秘密を握る人物なのだと。根拠無き確信に直感を震わせながら、その端整な横顔を注視するジスカ。

「薬草の採取ならわたしも付き合うよ。人手は多い方がいいと思うけど?」
「流石は御姉様っ!でもここはリーネが、リーネがお手伝いしますっ!」

 防寒具に身を固めたポッケが、ゆっくりとジスカを振り返る。彼はジスカの腰に纏わり付くリーネに眼を落とすと、中性的な顔に曖昧な表情を浮かべて肩を竦めた。あくまで穏やかな物腰を崩さぬつもりらしいが、ジスカにはハッキリと伝わる…丁寧で断固とした拒絶の意思が。

調査員VS管理人

「リーネ、キミにはまだ村の外は危険だよ…大丈夫、ボク一人の方が身軽でいい」
「わたしもそう思う、けど…王立図書院の調査員なら、足手纏いにはならないんじゃない?」

 あえて申し出を受け流したポッケ。それを見越して踏み込んだジスカ。残念そうに両者を見上げるリーネを挟んで、二人の視線が複雑に絡み合う。不思議ともう、ジスカはあの既視感を感じない…初めて会った時の、見知ったアイツに似た何かを。今はもう微塵も感じない。明らかに人では無い弟分とは違って、眼前で涼やかに自分を見据えるハンターを、今は謎多きただの女性ハンターと断定したから。

「お客様にそんな事をさせる訳にはいかないな…ねぇ、リーネ?」
「あっ、そうでした!師匠、今日はリーネが御姉様の為、夕食に腕を振るうんです」

 ついでにアズ君の為に、と付け加えて。リーネは何故か頬を赤らめ、台所へとすっ飛んで行く。

「はは、無邪気なもんだ…ジスカ、悪いけどリーネの料理には期待しない方がいい」
「なら是非、助けて欲しいもんだね。村唯一のハンター様として、口実を作ってさ」

 静かに、しかし激しく。あくまで薬草採取への同行を求めながら、ジスカは慎重に探りを入れた。この村の秘密を探る上で、ポッケ本人の素性と同じ位の重要度があるのだ…村周辺での採取や狩猟の体験は。無論、愛用の太刀が手元に無くとも。

「悪いけどキミは大事なお客様だ。その身分に甘んじて接待されてよ」

 ポン、とジスカの肩を叩いて。張り詰めた緊張感が弾け、ポッケは部屋を出る。その背を見送りながら、それ以上の追求を一先ず断念するジスカ。だが、逃げるような背中は彼女に、ある種の確信をもたらすには十分過ぎた。ポッケこそが、この奇妙な村の秘密を握る鍵であるという、極めて重要な確信を。