遠くで響く音楽と笑い声。その楽しげな喧騒を避けるように、アズラエルは寝返りうって毛布を被る。一度は脱走を試みたものの、傷付き疲労した肉体は主の意思に応えてはくれなかった。そんな今、ささくれだった心には、あらゆるものが疎ましい。歓迎会の誘いも沈黙で拒絶して、一人自分の殻に閉じ篭る少年。

「ごめーん!アズ君、お腹減ったでしょ?夕御飯だよー」

 ガチャガチャと食器を鳴らしながら、ノックもせずに少女がドアを開く。その手に持ったトレイから、温かい匂いが鼻腔を擽ったが。食欲も興味も湧かず、アズラエルは無言で一瞥。それを気にした様子も無く、リーネは集会所から持ち出した料理を並べ始めた。

ふたり。

「…何も食べたくありません」
「だーめっ!ちゃんと食べないと治らないんだから…はい、アーンして」

 冗談とも本気とも知れぬ素振りで、リーネはシチューをスプーンで掬う。渋々身を起こしたアズラエルは、ぶっきらぼうに器ごとスプーンを引っ手繰った。頼まれなくたって食ってやる…怪我さえ治れば出てってやる。そう心の中で呟いて、アズラエルは味わうでもなくガツガツと食べ始める。

「もうっ、御行儀悪いっ!…リーネも人の事言えないか」

 上体を起こして、無言で栄養分を摂取するアズラエルに溜息を吐いて。リーネはベットに腰掛けると、足を組み直して食事を見守った。その視線を気にする事なく、アズラエルはパンを千切っては口へ放り込み、ファンゴの肉に齧り付く。先程の言葉とは裏腹に、空腹の胃袋は正直だった。

「そだ、アズ君って幾つ?見た感じ、同じ位だよね」
「…13歳です」
「嘘ぉ!?そっか、リーネの方が二つお姉さんなんだ。どう?驚いた?」
「別に…」

 さしたる感動も無く、アズラエルは黙々と食事を続ける。寧ろ驚いたのはリーネの方…同世代とは思っていたものの、年下だとは思わなかった。どこか大人びた印象を受けるのは、一人旅の末にこの地へ流れ着いた故だろうか?それとも、どこか冷めた虚ろな眼差しが、そう感じさせるのだろうか。

「でも凄いね、師匠や御姉様から聞いたんだけど…一人で旅してここまで来たんだ?」
「…好きでこんな場所に来たわけじゃ…!?…ンッ」

 両足をブラブラと遊ばせながら、リーネは屈託無く語り掛けてくる。その年上とは思えぬ無邪気さを鬱陶しく思いつつ、不機嫌に相手するアズラエル。彼はさっさと二人の時間を終わらせるべく、残りの食事を一気に飲み込み…喉へ詰まらせた。慌てて枕元の水差しから水を汲んで手渡すリーネ。

「ゲホゲホッ!…っふう」
「アズ君、良く噛んで食べなさい!…ふふ、リーネもよくママに言われる」

 微笑むリーネにコップを付き返し、空になった食器が並ぶトレイを押しやるアズラエル。味わう余裕はまだ無いものの、暖かな食事で空腹が満たされれば、自然と小さな安心感が襲ってくる。素直にありがたいと思う気持ちを抑え付け、アズラエルはトレイを片付け始めたリーネの横顔を睨んでいた。
 満たされてはいけない飢えを抱え、解けてはいけない気持ちに苛まれながら。親切にされればされる程に、アズラエルは頑なに心を閉ざしてゆく。まるで人との関わりを恐れるように。明らかな拒絶の意思を表明して尚、それでもここの住人は厚意を寄せてくる。ともすれば打ち解けかねない自分を、アズラエルは必死で閉ざし続けるしか無かった。

「さて、リーネは集会所に戻るけど。アズ君も顔だけでも出さない?…そっか」

 リーネの呼び掛けに、無言で背を向けるアズラエル。全快には程遠くとも、一人で立って歩き回れる位には回復していたが。兎に角、体が完全に自由になるまで、誰とも会いたくない。そして最終的には、誰とも会わずに出て行きたい。それだけがアズラエルの望み。

「じゃ、行くね?今度アズ君も、リーネに外の事色々聞かせて…え?何?」

 ごちそうさま、と申し訳程度に吐き捨てて。アズラエルは再び瞼を閉じ、身を縮めて毛布に包まった。リーネは部屋のランプに息を吹きかけ、その明かりを落として部屋を後にする。ドアが閉まり闇と静寂が訪れると、アズラエルは孤独ゆえの安心感に包まれ眠りに落ちていった。