集中…的を見据えて矢を番え。力の限りに弦を引く少女。その体格に大きすぎる弓は、射手の非力さゆえに震える。それでも力の限りを振り絞ると、片目を瞑って狙いを定めて。何度となく込み上げる高揚感を胸に、彼女は弓より矢を放った。

「うーん、おかしいな…師匠がやると当るのに」

 矢は的を大きく逸れて、茂みの中へと消えて行く。何度も目で追ったその軌跡に、リーネは腕組み首をかしげた。何が悪いのかは無論解らないし、何が解らないのかすら解らない。彼女の師匠は軽くレクチャーして手本を一度見せたきり、自分の狩りへと出かけてしまっていた。ふむ、と唸って気合を入れなおし、再度構えて矢を手にした時。彼女の背中へ浴びせらる、聞き慣れぬ言葉の聞き慣れた声。

「あ、見てたんだ…練習だからいいの!上達して師匠や御姉様をビックリさせちゃうんだから」

 北海の部族が使う言語は、リーネには理解できなかったが。その意図は今に限って、正確に伝わった。ヘタクソ、と呆れる声の主はアズラエル。木の幹に腰掛け見守る彼へ、リーネは恥ずかしそうに言い訳を呟く。家族や村人、師匠や憧れの御姉様に見られるより、何故か恥ずかしい自分を誤魔化しながら。
 じっと見詰めるアズラエルと、モジモジと練習を再開するリーネ。一方に会話をする意思は無く、もう一方には会話の糸口がつかめないまま。また一本の矢が、的外れな方向へと消えて行く。気になる視線を浴びながらも、集中を自身に言い聞かせて。次の矢を番えた時、再びアズラエルが口を挟んだ。

「えっと…ゴメン、今のは解んないよ」
「ああ、すみません。弓、逆さまですよ」

 公用語で言い直しながら、アズラエルはリーネの手元を指差す。慌てて彼女は弓を持ち替えた。恥ずかしさに俯きながら。狩りの道具としては原始的で、今では火薬式のボウガンが主流だが。太古より進歩を重ね、洗練されてきた弓矢。無論、他の武具にも言える事だが…正しく構えねば、道具としての真価は問うに及ばず。

「あ、ああ…うん!そうだよね、逆さまだよね!アハ、ハハハ…はぁ」

 ヨシ、と仕切り直して矢を番え。今度こそはとリーネは弓を引く。結果が見えてるだけに、アズラエルは退屈そうに欠伸をしながら、頭の後ろで手を組み見守った。予想は的中…やはり矢が的を射る事は無い。そればかりか掠めもしなかった。落胆の溜息で肩を落とすリーネ。

「はぁ、今朝から一本も当らないよぉ…才能ないのかな」
「才能以前の問題ですね。ちょっといいですか…失礼」

 やれやれ、と肩を竦めて立ち上がると。アズラエルは落ち込むリーネの背後に回った。半日も待たずに才能の有無を嘆くとは、日々厳しい漁に生きる彼からすると失笑に値するが。頼まれた手前もあって、彼はリーネの手に自らの手を重ねた。先程まではポッケのお願いなど、無視を決め込もうと思っていたのだが…不思議と懸命なリーネを見ると、ささくれ立った心が僅かに揺れる。

「な、何?アズ君、ちょっと…」
「背筋が曲がってるんです。それと、弓を持つ左手の保持力が弱い」

 リーネの呼吸は緊急停止し、代って鼓動が早鐘の様に高鳴った。頬が火照り、耳まで真っ赤になっているのが自分でも解る。すぐ後ろに立つアズラエルの、その吐息が直に感じられる密着感。文字通り手取り足取り、リーネを後ろから支えて弓を構えるアズラエル。

「こうして軸線を真っ直ぐに…聞いてますか?」
「え?あ、うん…こう、かな?」

 そこからはもう、リーネは無我夢中だった。引き絞られる弦の感触も、手から放たれた矢の感覚も。何も覚えていない…代りに感じられるのはただ、背中越しの少年の体温。矢は的へ吸い込まれて、渇いた音を響かせる。それは同時に、リーネの心をアズラエルが射抜いた瞬間でもあった。