「へぇ、キミがボクにお願いだなんてね」

 昨夜のうちに降り積もった雪を、スコップで片付けながら。ポッケは早朝の珍客に微笑み返す。だが、茶化しても無駄なようで、アズラエルは真剣な表情を崩さなかった。昨日までの投げやりで捨て鉢な、苛立ちに彩られた面影はもう無い。

「暫くこの村で暮らしてみようと思うんです、けど…」

 恐らく今、アズラエルは勇気を振り絞っている。誰も知らず、誰も背負えぬ過去を振り切って…新たな道を探る為に。何が彼をそうさせたのかは、ポッケには見当もつかなかったが。まるで憑き物が落ちたように、今日の少年は瞳に力があった。少なくとも、昨日の彼とは違うと、ポッケの観察眼は訴えていた。

「確かに空き家ならあるけど。ふふ、同じ屋根の下にはもう居れないか」
「!?…い、いえ、そういう訳では…っと」

 僅かに動揺したアズラエルは、ポッケが懐から投げてよこした鍵を辛うじて受け取った。自分でも何故、心が揺さ振られたかも気付かずに。ただ、もう一度だけ人の輪の中で生きてみようと…人を信じて暮らしてみようと思っただけで。それだけで他意はない筈だが、何故か頬が熱を帯びた。

「今は物置だけどキミに進呈しよう。ちょっと散らかってるけどね」
「ありがとう御座います。家賃は次の狩りで…私もハンターですから」
「それは駄目だ!…あ、いや、うん、家賃はいい。いいんだ…」

 不意に語気を荒げたポッケに、アズラエルは驚き言葉を失った。物陰で息を潜めて見守っていた者も同じく。この村で生きるなら、働くのは当然で。幼少より狩りや漁に出ていた経験もあり、ハンターとして暮らすのが一番自然に思えたが。
 もう話は終わりだと言わんばかりに、再びポッケは雪掻きを始めた。その背は暗に、理由を問う事を拒んでいる。戸惑いながらもしかし、敢えて詮索を控えるアズラエル。この村で唯一のハンターが言うのだから、しょうがないとも思えたし。何より、これからの生き方を拘る気持ちは無かったから。

「じゃ、じゃあこの借りはいずれ」
「以外に律儀なんだな、キミは。ま、新たな住人を歓迎するよ…心からね」

 ペコリと頭を下げて、アズラエルが去ると。手を休めてポッケは深い溜息を吐く。その姿を窺っていた人物は、視線が不意に自分へ向くのを感じて、木の影から一歩踏み出した。

「縄張り意識が強いタイプには見えないけど…何で?」
「盗み聞きは良くないな、ジスカ。それと余計な御節介もだ」

 昨日の一件もあって、ジスカは彼女なりに気に掛けていた。が、何か吹っ切れたように、動き始めたアズラエルに安堵。難しい年頃な上に、見えぬ重荷を心に背負っている風だが…この場合、幼い頃から大人に混じって働いていた、アズラエル特有の自立心が良い方へと作用したのだろう。

「キミもだ、ジスカ…悪いけどこの村の近くでは、狩りには出ないで欲しい」
「得物を誰かさんが返してくれないから、その心配はないと思うけど?」

 違いない、と肩を竦めて見せるポッケは、普段の飄々とした笑みを取り戻していたが。ジスカは独り言のように呟き漏れた、彼の一言を聞き逃さなかった。

「今なら外界人の混入もいいさ…どうせ後で…」

 その意味は解らなかったが、少なくともポッケにニ心ありと見て。アズラエルの新たな生活は同時に、この村の秘密の鍵になるかもしれない…そう思うと、ジスカは二重の意味で喜ばしかったが。反面、謎は近付けば近付く程に、その影は色濃く彼女を包み込んだ。