「いいさいいさ〜、それより少年…是非、うちの畑を使うべきさ〜」

 寝具が余っているから、と持って来てくれたのは、今や顔馴染みになった気のいい農夫で。どこから聞きつけて来たのか、仕事を探すアズラエルに快く農地を分けてくれると言う。不思議と他意を勘ぐる事も無く、厚意が今はありがたい。

「いんや坊ちゃん、ワシんとこで修行して…立派な大工を目指すって道もあるぞ!」

 小屋の雨漏りを直しながら、屋根の上で大工の親方が豪快に笑う。その人柄を思えば、大工見習いとして働くのも悪い気がしない。それもいいですね、と素直な気持ちが口をついて出た。やがて小さな小屋の軒先で、農夫と親方はアズラエルを取り合って口論を始める。

「なるほど、そゆ顔で笑うんだ…いいね」
「おっ、御姉様!?だ、だだ、だっ…駄目ですからねっ!」

 大工と農夫の間に入って、賑やかに談笑を交わすアズラエル。その顔には屈託の無い笑みが浮かび、年相応にいきいきと輝いて見えた。まるで険が取れたかのようなその表情に、ジスカはホウキに頬杖ついて目を細める。彼女は傍らで古書を運ぶリーネの声に、意味深な期待を込めた微笑を返した。

「ん〜?リーネ、何が駄目なのかなぁ〜?」
「そ、それは…その、とっ、兎に角っ!駄目なものは駄、めえっ!?」

 山と詰まれた古い書物を、危い足取りで運んでいたリーネ。彼女はジスカの少し意地悪な言葉に動揺したのか、雑巾を踏んづけて派手に転倒した。かび臭い埃が舞い上がり、大小様々な本が片付きかけた室内へ散らばる。どれもポッケがこの小屋に死蔵されていた物で、捨てて良いとは言われていたが…見慣れぬ文字が目に留まり、思わずジスカはその一冊を拾い上げる。

「あいたた、お尻が。御姉様?あ、ひょっとしてこの本、まさか読め…」
「ふむ、この書物…むむむ、うん?はっ、これは!」

 読めないや、と呟き、ジスカはパタンと本を閉じる。立ち上がりかけたリーネはその一言に、再度尻餅をついて転んだ。図書院にも古い蔵書があり、その何種類かは読めるのだが…散らばる書物はどれも、見た事も無い文字で綴られている。書士仲間が目にしたら、小躍りして喜ぶだろうなと苦笑しつつ。これもまた、この村の謎を解く鍵かと思案をめぐらすジスカ。その耳朶を突然、信じられぬ声が静かに打った。

「ラグオル…?セストレン・エクス…よく解りませんね、これは」

 驚くジスカの目の前で。アズラエルは無造作に拾い上げた一冊を紐解き、何やら呟き始めた。

「アズラエル、読めるの?」
「いえ、故郷とは文法が随分違うようですし。でも単語は少し追えますね」

 コーラル、大崩壊、帝国…アズラエルが拾う言葉の中には、図書院の文献に詳細の記された物もある。しかし文章としては読み取れず、読めない単語も多いらしい。少年は読むのを止め、本を拾うリーネを手伝い出した。和気藹々とした雰囲気の中、一人緊張にゴクリと喉を鳴らすジスカ。

「アズラエル、キミ…仕事を探してるんだよね?」
「ええ、大工も農夫も捨て難いですし、他の方からも沢山…」

 ガシッ!と不意にアズラエルの手を取り、固く握り締めながら。ジスカは瞳を真っ直ぐ見詰めて、熱っぽく声を紡いだ。呆気に取られるアズラエルの横で、リーネが過剰に驚きうろたえるのも構わずに。

「わたしの助手でどう?手を貸して欲しい、この村の謎を一緒に…」
「ちょい待ち、姉ちゃん!先にワシが坊ちゃんを弟子にだな!」
「それはオイラが先だったはずさ〜!」

 農夫と親方が話に加わり、俄かにアズラエル争奪戦が巻き起こった。当の本人は、これから暮らす我家が整いつつあるのを感じながら、リーネと互いを見合わせ肩を竦めるだけだった。