湯煙に覆われた天然の露天風呂。その湯に浸かって岩にもたれ、ジスカは満天の星空を仰いだ。源泉そのままの温泉は、微かに硫黄の匂いで鼻腔を擽る。つい先日、村人に勧められた公衆浴場での入浴は、彼女にとっては日課になりつつあった。夜遅い今の時間は、村人の姿も無く静かで。その日の調査を振り返り、考えを纏める時間としていたのだ。普段は。

「御姉様っ!御背中、お流ししますっ!」

 豪雪と猛吹雪の中に見た異形の生物。外界より閉ざされた、地図に無い村。何故か既視感を覚えるモンスターハンターのポッケ。禁じられた狩り。解読不能の古書…今日もしかし、さしたる収穫も無く、考えは纏まる事無く霧散した。無邪気に手を振るリーネに応えて、ジスカは立ち上がる。

「明日は例の書物から攻めてみるか…リーネ、明日ちょっちアズラエルを借りるよ?」
「な、なな、なっ、何でリーネに断るですか!?」

 解りやすい反応で慌てふためくリーネを楽しみつつ、風呂桶を片手に岩へ腰掛けて。リーネの苦しい言い訳を遠くに聞きながら、再びジスカは物思いに耽った。例の書物は調べてみたが、かなり古い年代の物である以外、何も解らなかった。北海地方に伝わる古い言葉に酷似している位しか。だが、アズラエルと地道に翻訳すれば、この村の何かが解るかもしれない。

「御姉様、考え事ですか?難しい顔…」
「これも仕事だからね。難題山積み、糸口掴めずと…ん?そう言えば」

 せっせと自分の背中を流す、幼い少女を振り返って。不思議そうに小首を傾げるリーネを、ジスカはじっと見詰めた。ハンター志望の少女が、一番身近な村人だったから。今の今まで違和感を感じなかったのだ。その違和感とは…

「リーネはまだ狩りに出た事は無いんだっけ?」
「師匠とキノコ採ったりしました!でも狩りらしい狩りは…まだ」

 その違和感とは、この村全体を覆う穏やかで温かい閉塞感。リーネ以外、誰一人として村から出ようとしないのだ。そう、リーネとある人物以外、誰一人として…確証は無いが、恐らくは誰もが出てみようとすら考えないのだろう。その事をリーネに聞いてみたが、もっともな答が返って来るだけ。

「師匠が外は危ないって…みんなは村が一番だって。リーネなんか半分、変わり者扱いです!」

 頬を膨らませてむくれると、リーネはジスカの背を湯で流す。なる程確かに、外の世界へ行きたいというのは、ここでは異端だろう。それだけこの村は、小さいながらも豊かだった。物的にも人情的にも。アズラエルが心を開き惹かれたのも、ある意味では当然と言える。
 特殊な気候に閉ざされただけの、辺境の平和な村。そこでの暮らしは慎ましくも豊かで、何の不自由も無い…だからといって、外界から隔絶されたままで、果たして村自体が存続していけるのだろうか?それを可能たらしめているのは、やはり件の人物…ポッケ以外に考えられない。

「あ、あの…御姉様?」
「ん?ああゴメン、ちょっと考え事。それより…リーネッ!」

 取りあえずは、今日の調査はここまでにして。仕事を頭から振り払うと、ジスカは立ち上がってリーネの背後に回る。華奢な肩に手を置き座らせて、手元の風呂桶に湯を汲みながら。

「ふっふっふ…おばさんに言われてるのだよ!今日こそは頭を洗おう、ねぇ?」
「ひっ!きょ、今日はいいです先週洗っギャン!」

 慄くリーネの頭から、容赦無く湯を浴びせながら。じたばた暴れるリーネの頭を、泡立てた石鹸でくしゃくしゃ洗い出すジスカ。彼女が魔法の言葉を呟くと、子犬の様に抗う少女は大人しく俯く。耳まで真っ赤になりながら。観念したかのように、特徴的な癖っ毛が項垂れる。

「うんうん、女の子は綺麗にしてないとね…アズラエルだってそう思ってるよ?」
「ア、アズ君は関係ないもん…」

 そう言えば弟達も…特に上の子は洗髪を嫌がったな、と思い出しながら。鼻歌交じりにリーネの髪を洗うジスカ。脳裏を過ぎる懐かしい顔ぶれはしかし、何故かポッケと重なる。初めて会った時と同じく。しかしジスカは、その事までがこの村の謎に絡んでいるとは、思いもよらなかった。