「うーん、やっぱり断片的にしか解らないなぁ…少し整理してみよう」

 今やアズラエル邸となった小さな小屋で。先程から額に眉を寄せ、古文書とアズラエルのメモを交互に睨むジスカ。そんな彼女を他所に、アズラエルは机に頬杖つくと、外の光景に魅入っていた。正確には、腕組み立ち尽くすポッケの前で、弓を構えて矢を番える少女の姿を。
 この短期間で、リーネの腕は驚く程に上達した。元々が素人同然だっただけに、専門的な知識と適切な指導を施すと…綿が水を吸収するように、彼女は技術を習得していった。アズラエルから言わせればまだまだだが、今はその安定したフォームに、その真剣な横顔に目を奪われる。

「アズラエル、キミの見解は…アズラエル?おーい、聞いてる?」
「え?ああ、すみません」

 慌ててアズラエルは、向かいに座るジスカへ視線を戻す。開け放たれた窓の外からは微かに、矢が的を射る乾いた音が響いた。その余韻に浸る間もなく、机上に散らばる紙片を掻き集めて。彼は王立図書院特別調査官フランツィスカ=フランチェスカの助手として、外界から閉ざされた村の謎を解き明かすべく、持てる僅かな知識を振り絞った。

「ふふ、アズ君は気になる訳だ?リーネのこと…いいねぇ、青春だねぇ」
「なっ…そ、それは気にもなりますよ。私が弓を教えたんですから」

 幼少期に忘れた表情で、アズラエルは僅かに頬を赤らめ口ごもる。自分でも妙に動揺しているのを感じながら、それが何かも解らずに。話題を変えるべく、手元のメモを揃えて纏め終え、アズラエルは翻訳と解読の作業に戻った。優しい眼差しで微笑むジスカも、何も言わず古文書の山へ手を伸べる。

「取りあえずジスカ様、気付いた事が一つ。頻繁に数字が出てきますね」
「ああ、これね…数字なのか。法則性のありそうな文字とは思ったけど」

 続けてアズラエルは指摘した。古文書の数字は全て、読み進む程に大きくなると。それを聞いた瞬間、ジスカは閃きを感じた。直感に根拠は無いが、膨大な量の古文書はそれ自体にも良く見れば数字がふってある。その巻数順に記述内の数字も大きくなってゆくとすれば…

「年代を記してるのかな?でもこんな暦、初めて見るけどな」
「それ、多分正解ですね…この膨大な書物は恐らく、年代記の類かと」

 そこまで答を導き出した時、不意に気の抜けた拍手が響いた。気が付けば窓辺で、ポッケが微笑み手を叩いている。それは暗に、ジスカの勘が当った事を物語っていた。

「北海地方の出だったね、キミは。その通り、とある記録さ。それは…」

 リーネに呼ばれて返事をすると、ポッケは再び弟子の元へ行ってしまった。去り際に意味深な、どこか冷たい笑みを残して。それはジスカに、真実にまた一歩近付いたという核心と同時に…これ以上謎へ踏み込む事への躊躇いを抱かせる。普段の飄々とした雰囲気とは違う、刺々しい笑みが目に焼きついたから。

「ともあれ、行き詰まりましたね…どうなさいますか?ジスカ様」

 アズラエルの言う通り、ジスカの調査はまたしても暗礁に乗り上げた。件の古文書が何であるかは解ったものの、それが追い求める答えに結び付く事は無かったから。アズラエルの手を借りれば、何年に何があったかを僅かに読み取れる…しかし、今の暦で数えて何年前かも、その時起こった事が何なのかも解らない。

「あと、これが仮に本物の…失われた太古の歴史だとして。何故ここに保管されてたのでしょう」

 素朴な疑問を呟き、再び窓の外を眺めるアズラエル。頭の後ろで手を組み、椅子に大きくもたれ掛かって天井を仰ぎながら。ジスカも同じ事を考えていた。

「逆に、ここだから…この村だから?」

 外界と遮断されたこの村に、旧世界の記録があった…それは事実としても、偶然では無いかもしれない。むしろ必然とするならば、その為にこの村は隔離されている。一瞬そう考えつつ、ジスカは自論を一笑に付した。その考えに基くならば、この村に来る途中の吹雪と嵐ですら、人為的なものとなるからだ。
 ジスカはまだ、その時理解していなかった。彼女に限らず、この時代の人間ならば想像する事すら困難であろう。旧世紀の文明が天候すら意のままに操ったという、正しく神話の世界に等しい時代だったという事を。