「風が出てきたな…アズラエル、リーネは?」

 ジスカの問いに、汗だくになった少年は首を振る。彼女が村で応急処置を受けている間に、アズラエルは随分と駆け回ったらしい。その顔は珍しく、焦りの表情がありありと浮かんでいた。先程までの晴天が嘘の様に、空には低く雲が這い、強まる風に流されてゆく。

「駄目です、見つかりません…そんな遠くへは行かないと思うんですが」
「落ち着いて探そう、まだ日が落ちるまで間がある」

 とは言え、手がかりは何も無い。閉ざされた小さな世界と言えど、一歩村を出れば広大な山中。既に苛立ちを隠さぬアズラエルを宥めつつ、ジスカは自分に言い聞かせるように再度呟いた。兎に角、落ち着く事…だが、妙案がある訳でも無く、時だけが虚しく過ぎて行く。再度、手分けして探そうと、地図を挟んで覗き込む二人。その視界の片隅で、白一色の世界に紅が舞った。

「ん、何だ?今…気のせい?」
「いえ、この花びらは…リーネッ!」

 風に乗って流れる、一片の紅い花びら。それを掴み取るが早いか、アズラエルは駆け出していた。意図が掴めず驚きながらも、慌てて地図を畳み後を追うジスカ。しかし怪我と疲労で身体は満足に動かず、少年の背はどんどん小さくなってゆく。ジスカは我が身に鞭打って、それでも懸命に走った。

「アズラエル、気を付けろ。この周囲には…アズラエル?」

 ようやく追い付き、周囲を警戒して見渡しながら。蹲るアズラエルの背へ声を掛けるジスカ。彼女は、無言で振り向く少年を見て絶句した。血の気が失せた表情で、無言で見上げるアズラエルの、その唇が僅かに震え戦慄いている。リーネは今、彼の腕の中に居た。冷たく無残な姿で。
 辺りに漂う臓腑と血の臭い。散らばった紅い花びらの中央に、黙ってアズラエルは座っていた。掛ける言葉も無く、余りに凄惨な光景に後ずさったジスカは、何かを踏んで足元を見る。それは千切れたリーネの足だった。

「ジスカ様、リーネを見つけました…見つけましたけど、遅かったみたいです」

 そう呟くと、アズラエルは少女の遺体を抱き締めた。既に胴から下は引き千切られ、腕も片方欠損した無残な死体。ドス黒い血は既に流れ尽きて、それでもアズラエルの着衣を汚した。長いハンター生活の中でも、これほど手酷い犠牲者をジスカは、今まで見た事が無い。胃の置くから酸味が込み上げ、思わず口に手を当て目を逸らす。己の無力さが悔しく、瞼はもう涙の重さに耐えられなかった。

「…兎に角、村へ連れ帰ろう。ここは危険だ」

 虚ろな目で、呆然とリーネを見詰めるアズラエル。彼はジスカの声にゆっくりと面を上げると、僅かな間の後、小さく頷いた。辛うじて正気を保っていたが、残酷すぎる結末をまだ認識しきれていない。どこか現実感は無いのに、その腕の中にもう、昨日の温もりは無かった。

「アズラエル、しっかりしろ!…リーネをこのままにしておく気かい?」

 自身も辛かったが、ジスカはまだ冷静でいられた。この惨劇の元凶に対する憎悪を、辛うじて抑え込んでいられる。今は一刻も早く、リーネの遺体を村へと連れ帰るべきだった。それはアズラエルも解っているらしく、リーネを抱き上げ立ち上がろうとした…その時。

「何だ?この光…え、あ、ああ…消えるっ、リーネが!リーネが…」

 まるで燃え尽き灰となって、風に舞い消えるように。少女の死体は突如、ゆっくりと消滅し始めた。うろたえるアズラエルの手の中で、眩い光と共に…その身体は完全に、一片の欠片も残さず消えてしまった。何が起こったか解らず、少女の名を叫びながら周囲を探すアズラエル。だが、既にリーネの姿は無く、その痕跡すら消え失せて。ただ紅い花びらだけが、嵐の前触れに舞い散っていた。