『システム正常、稼働率61%…初期化シーケンス終了、現在再生を進行中』

 その声も、それに応えるポッケの声も。ジスカは無論、アズラエルにすら理解できぬ言語だった。ここは農場の片隅、氷室として使用している洞窟の奥底。隠された扉より、深く地下へと潜った謎の施設。暗闇の中、どこからとも無く響く声に、ジスカはアズラエルの肩を抱き寄せつつ周囲を見渡した。気を利かせたつもりか、ポッケが呪文のような言葉を呟くと、周囲に明かりが灯る。

「ようこそ、世界回路の末端へ。ここ数百年で随分ガタが来てるけどね」
「世界回路?それがこの、閉ざされた楽園の名か?それとも…!?」

 旧世紀の魔法としか言い表せぬ、眩く明るい照明の中で。ジスカはポッケの背後に広がる光景に絶句した。大きな硝子の管が幾千にも突き立ち、その一本一本にもれなく…何かの液体と共に、人間が封入されている。良く見れば、その中には村で見知った顔もあった。

「こうしてアナライズされたデータを下に肉体を再現する。そしてまた皆、村で暮らすのさ」

 それが旧世紀の世界崩壊より続く、この村の…閉ざされた楽園の営み。世界回路と呼ばれるシステムが、遥か未来に生み出す清浄な世界へ向けて。旧世紀の人類を存続させる種の揺り篭。ジスカは今、全ての謎が弾ける様に解けてゆくのを感じていた。
 禁忌の山と畏れられる秘境に、人知れず存在する閉ざされた村。そこに住む人…その周囲の生態系そのものが、旧世紀を再現し保存したフラスコなのだ。ただ、閉ざされた環境故に、定期的に初期化が必要になってくる。

「もう何百回も繰り返されて来た事さ…何千年もね。彼女も例外じゃないよ」
『システム管理者のIDを確認、保存体No.00479のデータを表示します』

 ポッケが再度指示を出すと、ジスカとアズラエルの眼前に一人の少女が現れた。それは立体映像だったが、二人にはそうとしか認識出来ない…空中に浮かぶ全裸のリーネとしか。

「…そうか、リーネも村人も皆、何度でも再生出来るって訳だ」
「記憶は持ち越せないけどね。その代わり、ある程度の書き換えは可能だけど」

 そう言うとポッケは、壁際のパネルに近寄り手を翳す。何かの装置らしき物体から光が照射された。同時に、宙に映し出されたリーネの画像が乱れ、徐々に変化していった。あどけなく幼い顔立ちはそのままに、腰は縊れ胸はふくよかに。背も高くなり、大人びた容姿へと変ってゆく。

「どうだいアズ君、どうせ再生するんだからキミ好みに…」

 まるで飴細工のように、中空のリーネは姿を変える。正に、旧世紀の失われた秘術…それを目の当たりにして、言葉を失い立ち尽くすジスカ。その傍でアズラエルも、微動だにせず見上げていた。そんな二人を他所にポッケだけが、夕餉を拵えるような気軽さで作業を続ける。

「どうせもう外には出れないからね…キミもだろ?アズラエル。だから…!?」
「アンタはっ!俺からリーネを奪って…その上、リーネの死までも俺から奪うのか!」

 それは突然の出来事だった。アズラエルは故郷の言葉で何かを叫ぶと、ポッケに掴みかかっていた。我に返ったジスカが止める間に、幼い拳は何度と無くポッケを殴打する。興奮状態のアズラエルをジスカが引き剥がすまで、黙ってポッケは打たれるままに力無く立ち尽くしていた。

『現在再生を進行中…最終確認の入力をしてください。繰り返します、現在…』

 無機質な声と、アズラエルの荒い息だけが室内に響く。驚きの連続で怒りも忘れ、更にはその発散の場すらアズラエルに奪われて。ジスカは黙ってポッケを見詰める他無かった。その視線の先にもう、多くの村人を欺き、自分を死地へと追いやった者の姿は無い。居るのはただ、刻に取り残された楽園の管理者。ただそれだけだった。