沈黙に沈む三人の頭上で、システムの音声だけが虚しく繰り返される。怒りに昂ぶり、肩で息をするアズラエルを抑えながら。ジスカはじっと、黙ってポッケを見詰めていた。その瞳の奥に、深い哀しみを感じ取りながら。
 今、まるで潮が引いていくように。ジスカを滾らせる怒りと憎しみが消えてゆく。あれだけの事をされ、それ以上の事をアズラエルにしたに関わらず。感じるのは一人の人間としての、人ならざるモノへの哀れみ。自らの意思も無く、悠久の時を与えられた役目で費やして来た、旧世紀の墓守…それがポッケの正体だった。

「離してください、もう気は済みました。後は…」

 自らを拘束する手を、やんわりと振り払うと。アズラエルは踵を返して出口へ向う。ポッケに気を取られ、その身に刻んだ時へと想いを馳せていたジスカ。彼女はふと我に返ると、慌てて止めようと手を伸べるが。少年は一度だけ肩越しに、中空に浮かぶ少女の映像を見やると…それっきり振り返らず、歩を早めた。

「やはり行くか…人間が一人で倒せる相手じゃない。奴は…ティガレックスは」

 去り行く小さな背中へ、ポッケがその名を呟く。遥か太古の昔、人が龍より竜を生み出し、星さえ削りながら覇を競った時代。轟破の飛竜は失敗作として、多くの廃棄ナンバーズと共にこの地へ封印された。ティガレックス…それが忌まわしき負の遺産であり、アズラエルの半身を削いだ簒奪者の名。

「だから何です?私のリーネはもう居ない…ならもう、こうするしか!」

 悲痛な叫びを吐き捨てると、アズラエルは行ってしまった。止め切れず追おうとするジスカの背に、深い溜息が投げ掛けられる。ゆっくりと立ち上がるポッケの表情は、普段と変わらぬものだったが…ジスカにはやはり、憂いに影って見える。

「最後に一つ、教えろポッケ…キミはそうして、どれだけの時を繰り返してきたのだ?」
「…覚えていない、な。数えるのをやめたのがいつだったかも、今では忘れてしまったよ」

 何時か訪れると約束された、清浄なる平和な世界。その日を夢見て何度も、ポッケはシステムに則って…否、システムそのものの一部として、何度も与えられた責を全うして来たのだ。新世界へと選ばれた、優良種たる穏やかな人類を守りながら。負の遺産である廃棄ナンバーズを駆除しながら。

「しかし皮肉だな…再生した世界ではもう、ここに遺された種は生きてはいけない」

 自嘲気味に笑うと、ポッケは再び溜息を吐いた。旧世界の賢人達が遺した計画は、既にもう破綻して久しい…現に、外の世界は残酷で野蛮な、生気に満ち溢れた大自然を復活させたというのに。この地はまだ、閉ざされたまま。旧世界そのままに残された種は、人も含めて全てが全て、今の世界では生きてゆけない…余りにも脆弱過ぎて。

「さ、謎解きは終わりだ…行ってくれ、ジスカ。彼を止めて、そのまま下山して欲しい」
「そしてこの村はまた閉ざされる訳か?こんな事、いつまで続けるつもりだ!ポッケッ!」

 答えは返ってこなかった。ただ、沈黙が語る暗黙の了解以外は。外界から隔離された環境維持のシステム自体が、綻び始めた現在でも。ただそれを最大限に維持してゆく他に、生きる術を知らない…それを生きると言い難いなら、生きてすらいない。そんなポッケをジスカは、酷く哀れに思った。

「ではどうすればいい?ボクは今までそんな事、考えた事も無かったよ」
「それをわたしに聞くのか。問うべきは己に…あと、彼女にでは?それじゃ」

 ジスカは頭上のリーネを見上げ、ポッケを一瞥してからアズラエルを追う。その背をぼんやりと眺めながら、ポッケは初めて己に問うた。今の今まで、ただ傍観に徹して与えられた役割を演じてきた自分に。だが、答が見つかる筈も無く。代りに思い浮かぶのは、自分を師と慕った少女の想い。
 優良種として選りすぐられ、そうあれと調整されて尚…人が好奇心と探究心を忘れないのならば。そんな人類が今、再び外の世界で生きているのなら。初めて自分が己の意思で、選ぶ道は自ずと示されているような気がして。ポッケはシステムにアクセスすると、決断を下し実行に移した。